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Gotta 返し 2006/12/31
さて、大掃除を済ませなくちゃいけない。
今日、出掛けたら、
僕の帰りは確実に年が明けて、新年になる。
帰って来た新年一発目の「ただいま」が、きちゃない部屋では、
せっかく気持ちを新たに帰って来ても、トーンが下がってしまうから、
大掃除をしよう。

なんつって、やり出したら時間のかかる事。
キッチンのテーブル、風呂、トイレ…。
ゴシゴシ、バシャバシャするうちに、
何とか見てくれだけは整った。
微に入り細に入り、こだわった掃除をやる暇がないから、
今日はこれでいい。
見てくれだけ整えば、僕はそれで充分満足できる。
部屋はめどをつけた、次はライブだ。

年越し、そして正月へ、
僕は今まで地味に過ごしたいと想い、派手さを避けてきた。
年越し、そして正月へ、
今年はその派手な過ごし方になる。
ライブで年を越す。
それって結構自分では大変な出来事だと思っていた。
大勢の人と年を越すなんて考えた事もなかった。
少し不安だった。
一体、僕はいい一年の踏ん切りをつけれるのかなぁ。

と言いながら、
と言いながら、

気付いた頃には下北沢Big Mouthの中で酔っぱらい、
大きな蝶ネクタイをし、白いパーマのカツラを冠ってステージに立っていた。
たくさん久しぶりの人と会った。
たくさん初めての人と話した。
僕の指が勝手にギターを弾き始め、
僕のノドもそれに合わせて、勝手に唄い始めた。
案外、人並みには年越しパーティを過ごせている。

僕はスッカリ酔ってしまった。

スッカリ酔ってしまおう、
小難しい事は考えないようにしようと決め、
僕はスッカリ酔ってしまった。

だから今は胸を張って思う。
2007年は必ずいい年になる。

大勢の仲間と年を越した。
みんなが生き生きとしている。

こんな年越しは初めてだ。
世間一般一通りの事が、正しい事だとかんじる。

本当に幸せだ。
一つの愚痴も弱音もない。
僕は本当に幸せ者だと感じているんです。

2006年、慕夜記締め 2006/12/30
いつもならトラックやタクシーで夜通し音の絶えないこの街も、
年末の帰省ラッシュとともに人口を減らし、
静かな、
実に静かな、
一年を終えようとしています。

明日は下北沢Big Mouthで年越しの大パーティーに出席する事になりますので、
今年の慕夜記は今日で締めになります。
バッタバッタと年末を過ごしていたので、
意外に実感無く過ごしております。
明日は日曜日かぁ…と思っていたのが、
明日は大晦日やぁ…と気分が変えなくちゃいけなくて、
それはそれで、行く年に急に寂しさを覚えます。
一日は一日として何ら変わらない時間なのですが、
こうして節目があるという事はエネルギーが要るものだなぁと思います。

まだ、大掃除まで首が回りません。
でも、気持ちとしては大掃除を盛大にやりたいですね。
何だか、折角新年を迎える訳ですから、
この機会に去年までのものを一掃してみたくなるんです。
今まで、正月に正月らしい事をして来た事がないし、
何かと時期を外して行事をしてきましたので、
来年くらいは季節に合わせた、風物や行事を楽しみたいなぁと考えています。
とは言え、この徒然な生活ですから、
どこまで叶うか疑わしいのですが。

楽しんでもらえてるかな?

兎に角、来年は楽しい晶チャンをモットーにいきたいな。
僕の手に触れるものは全部楽しい事にしてみたい。
それは人と関わる事でもありますし、
日常の些細な事、それから物、
自分が住む世界は、矢張り自分の気持ちでいくらでも変えられると信じておりますので、
それこそ、トイレの便座の上げ下げから、
工夫して楽しい出来事に変えていきたいです。

世の中が暗いとか、
将来は大変な社会になるとか言いますが、
それはみんなが勝手にそう信じるから、
暗い方に行き、混乱するように人と人が関わり始めるのです。
そういった世間の流れは、案外自分のモチベーションと密接に関係していて、
自分のモチベーションが下がれば、不思議と暗いニュースが騒ぎだし、生活が退屈だと肩を落とす人が周囲に増えます。
要は、目に見えるもの全てが自分の心の創造物であり、
嘘と言えば嘘。
本当と言えば全て本当の世界だと思います。

その自覚を持てば、あえて世の中のせいにする事はなくなるし、
自分の心情を人のせいにして、引きこもったり、はしゃぎすぎたり、無関心になったりする事もなくなるでよう。
自分で変えてしまえばいいのですから。

僕はそういう意味で、希望だらけの一年を作ろうと思っています。
希望の燃料は、瞬間瞬間の楽しさであり、或いは可笑し味です。

一瞬の風景にも、幾多のドラマがあり、
自分の目と心が、否が応でも吸収していきます。
だから、物事というのは実際は深く考える必要はないような気がします。
確実なのは、その物事を吸収した時の目に全て記録されている訳ですので、
そこに立ち返ればいい。
そこは自分の五感に任せ、
心は、或る意味無責任に、自由に、
生活を楽しみたいと思います。

新しい年、僕から生まれて来るものは楽しいものだらけにしたいと思います。
クスクス笑える事、ジワジワ可笑し味を実感する物を、
2007年はみなさんにお届けします。

甚だ簡単ではございますが、
今年も色々とお世話になりました。感謝致しております。
また、来年もどうぞ宜しくお願い致します。
といった挨拶で2006年に別れを告げます。

みなさん、どうも有り難うございました。
来年も一緒に楽しもうぜ!!

あっ!と毎日〜 そりゃ連日よ 2006/12/29
『あっ!こふんそう〜』
『そ〜れ 何だ?』
『そ〜れ 栄養よ』
『そ〜りゃ 知らなんだ』

人生は知らない事の連続である。
もの静かで華麗な荒川静香さんが、今日も僕の頭の中で何回も唄う。
イナバウアーと“あっこふんそう”のギャップは埋まらない。
恐るべし、金芽米である。

最近、荒川さんが活き活きしているような気がする。
だから“あっこふんそう”も、とても陽気で楽しく聞こえる。
そして僕もついつい一日に何度も口ずさんでしまうのだが、
近隣の住民には大変迷惑な事であろう。
ちなみに僕は、荒川さんのイナバウアーは世界で一番綺麗だと思っている。
と、まぁ、のっけからどうでもいい話。

今日の寒さは久々に尋常を超えたと思う。
今年で一番寒いと感じた一日となった。
僕の場合は過保護に重ね着を施して、
「これなら大丈夫」
と自分勝手に安心できてから出掛ける。
でも、これは気休め。
一度外気に触れれば、体中がガチガチに固まって、身動きが鈍くなる。
そんな今日の寒さに考えていた。
昔の人は防寒具も少ない、暖房器具も少ない、下駄やワラジ、草履などで年中を過ごす。
あぁ、それでこそサムライが育つ。
人間はそれでも生きて行けるんだと改めて感心する。
僕は自分勝手に無くては困る物を増やしてしまったような気がする。
僕だってサムライになろうとして、日々を生きているのだ。
質素倹約を旨に、
靴下を脱ごう、服を一枚減らそう、ポケットから手を出して歩こう…ナンツッテ言いながら、
いや、明日からにしよう。
明日からサムライになろう。
と僕は何年も過ごしている。
僕の人生は“明日からのサムライ”である。

そしてそんなサムライは今日もモコモコに着込みながら、吉川みきさんの家に行って来た。来春から始まるインターネットラジオ『31rpm』に関連した作業をするためだ。
今日の作業にはそんなに時間がかからない。
みきさんとは
「あっ!」
「うん」
のリズムがあるから、あまり気難しく作業をする必要がないからだ。
ノリノリの雰囲気のまま、今日の仕事は一気呵成に終わってしまった。

今年も、みきさんにはお世話になりっ放しだった。
「みきさん、本当に感謝しています」
その中でも一つ、大きく感謝している事がある。
それは一月半ほど前に、みきさんと銀座に映画を見に行った帰りのレストラン。
みきさんが僕に言ってくれた一言で、この慕夜記の連日更新が始まったのだ。
その言葉は企業秘密と言っていい内容なので、ここでは紹介できないが、
生臭坊主の僕を一変させた一言だった。
要は、毎日一段の階段を大切にして上り、
決して止まらない事、
決して欲を出して二段、三段と進まない事。
一日一段を大切にするという事だ。
そして、それを積み重ねて大きなものにする。
当たり前でありふれた話だが、
当たり前にありふれて、できない事だ。
僕はみきさんのお陰で、根気の楽しさを意識できるようになった。
くどいようだが、僕にとっては大きな気持ちの変化だった。
まぁ、この慕夜記がどこまで記録を伸ばすか未知数だけど、
気の済むまでは連日、毎日という言葉を大事にやっていきたいと思う。

作業が終わってからみきさんとご飯を食べ、
その後でGoogle MAPでみきさんのご実家を航空写真で見たりして遊んだ。
最近、Google MAPやGoogle Earthで日本や世界を旅するのが結構楽しみになっている。
こうして僕は行った事のない、みきさんの実家の周辺の話などを聞いていると、勝手に楽しくなる。
「ここが道、このT字路を入るんだよ」
の意味の言葉を、みきさんは関西弁で話し始めた。
話の内容が関西の事になると、自然と関西弁に戻り始めるそうだ。
「この通学路に、よく痴漢がおってん」
みたいな。
何だか、タイムマシンに乗ってみきさんの幼少期を上空から眺めている気持ちになる。

僕は暫くして、帰路についた。
最寄りのバス停まで、みきさんとみきさんの愛犬ダンボがお見送りをしてくれた。
とっても寒い夜。
身体が透明になるかと思うくらいに血の気が引いている。
今年も残すところ、あと二日。
次にみきさんと会うのは、新しい年になってからだ。
そこでみきさんと、
「今年一年、お世話になりました。来年も宜しくお願い致します」
という挨拶をした。
両手で握手をした。
去年の最後のライブ、高円寺Show Boatで本番前、
矢っ張りこんな風に、みきさんと握手して年末の挨拶をしたっけ。
今夜はとっても寒い。
でも、みきさんの手は去年と変わらず、一等温かかった。

自転車で駆け抜ける 2006/12/28
温かい日は、どうやら今日が今年最後になるだろうという噂を天気予報で知り、出掛ける事にしました。
自転車に乗って、チャリチャリと池袋まで約40分。
大通りを避け、小道に活路を求めては迷い、
確かに今日は温かい一日と思いました。

僕は今日、温かいと天気予報に聞かされているにも関わらず手袋を装着しました。
今年初の手袋です。
他にはマフラーとダウンジャケット。
温かい一日に、今年最高の防寒を施すという、
僕のやりがちな失態です。

自転車というのは最近はとんと乗らなくなったので、
20分もコイでいるとお尻がサドルにイジメられ痛みます。
それをよく心得ているので、今日は最初からなるべくお尻に負担がかからないように、
サドルから逃がしながら乗っていたので、
さほどの苦痛はありませんでした。

色んな初めての道を経て、池袋へ。
目的は一つで、先日池袋で食べた刀削麺の味が忘れられず、
今日はランチで食べにきたのです。
今日は刀削麺のジャ−ジャー麺仕立てを食べました。
この「もう一度食べたい」ソウルを満たしてくれる、確かな美味しさでした。
この店に来ると、八角の匂いで懐かしさを覚え、
店内に行き交う中国語でまた懐かしさを覚え、
店員さんの中国らしさ、例えば今日も僕がまだ食事している最中に、僕のテーブルのレンゲのストックを店員さんが補充しにきました。「失礼します」と日本式の挨拶をしてくれるのですが「テーブルが空いてからやればいいんじゃないのか?」と微笑ましくツッコミを入れたくなります。この辺も、この店が懐かしさと居心地の良さをくれるところですね。

先日の慕夜記では刀削麺の説明が少し足りなかったので補足します。刀削麺というのは、文字通り小麦粉のカタマリから削り出される麺なので、うどんより荒っぽいジャンルの麺なのです。だから最初は「美味しいなぁ」と快調に箸を進めるのですが、途中で少しふやけた麺が丼の中でかさを増すので、「あれぇ、減ってないなぁ」と感じ、必ず気持ちが折れる時間があります。その気持ちに負けると完食は不可能です。刀削麺というのは食べる前に「食べ切るぞ」という強い心を持たなければいけない、格闘系料理です。

さて、今日刀削麺を食べている、まさに気持ちが折れる時間帯に、僕は箸を置き、小休憩をしていました。すると、僕のテーブルの向こう隣に看護婦さんが座りました。彼女はナース服にカーディガンをはおっており、一人で刀削麺を食べていらっしゃいました。ご存知の通り、中華料理というのは匂いの料理でもありますから、僕はちょっと心配になりました。一見おとなしそうに見える看護婦さん。でも、昼過ぎには中華の匂いがする。『あぁ、僕はこの人の患者になって、血液検査をしてもらいたい。そして、この手際よく物静かに僕の腕から血液を採取する看護婦さんが昼ご飯に何を食べたのか、患者の立場で想像してみたい…』そんな風に思いました。そして、そんな事を考えるついでに、彼女がスッピンであることにも着目しました。考えてみれば、看護婦さんがバッチリとメイクをしているなんてあまり見た事ないかもなぁと思いました。そりゃ、少しはするのかもしれませんが、注射や薬、消毒などの作業をしている看護婦さんがマスカラをバッチリしてたりしたら患者は不安なのかなぁと思いますし、仕事柄マスクを付ける機会が多いでしょうからファンデーションやチークの類いも結局マスクに付着して返って変な見栄えになってしまうのだろうなと思います。
年頃の女の子達は化粧もたくさんして自分の可能性も見たいだろうに、病気で苦しむ人達のためにこうやってスッピンで刀削麺をすする。忙しい病院では、一人ずつ交代で昼休憩をとるんだろうし、友達とゆっくりレストランでランチという訳にもいかないのでしょう。つくづく、素晴らしい仕事をされている人達だなぁと思いました。

お腹は満たされてこのドライブの目的は達成されたので、また自転車に乗り帰路につきました。
途中、思いつきで本屋さんに寄り本を探しました。
僕の欲しい本は2Fのコンピューターのフロアで探すべきか、3Fの音楽のフロアで探すべきか?
まず、2Fで探して見当たらないので3Fへ。そこで少し探してから、
「すみません、protools関連の書籍を探しているのですが、どこにあるのでしょうか?」
と店員のオバサンに声を掛けると、オバサンは困った顔で僕を案内し、
「この辺、この辺…」
と本棚を指しました。ですが、そこはさっき調べてなかった本棚。
「ここになければ、ないという事ですか?」
と聞くと、オバサンはうなづいてどこかへ慌てて行ってしまいました。
『この辺、この辺って…』
と腑に落ちない接客用語について考えながら、店を出て本格的に帰路につきました。

その道中、千川通りの古い色の商店街。江古田の入り口にさしかかりました。
その商店街でまた一段と古い感じの店。そこにはインコが沢山売られてました。
小学生くらいの男の子が店先の鳥かごをじっと覗き込んでいました。
まったく防寒してないトレーナーの上下姿を見るところ、
その古いインコ屋さんの子かと思われました。
その子がじっと一つの鳥かごを覗き込んでいました。
ふと見ると、彼の両耳には補聴器が付いていました。
店先を通る僕の耳には沢山のインコの鳴き声が聞こえました。
ただ、彼の沈黙はとても静かな風景に見えました。
一生懸命に、
見ようとしているのか、
聞こうとしているのか、

心がちょっとだけ動いた帰り道の風景でした。

Tequila Circuit 2006/12/27
日毎にちゃくちゃくと、2007へ向かっているのが実感できます。
昨夜は凄い雷雨で驚きました。
この季節に雷とは予測つきませんでしたので、
最初は隣近所の暴れん坊が酔っぱらって壁に頭突きを繰り出しているのかと思いました。
何しろこの季節に雷は不吉な予感がしたので、
雨止みの踊りをしました。
踊ってみたら意外とすんなり雨が引いたので、とっても安心しました。
これで、年末も無事に迎えれそうです。

インターネットラジオに先行してブログが開設されました。
ブログの女王がいたり、ブログ出版が有名になったり、
「ブログって何が楽しいんだろう?」
と思っていましたが、やってみると面白いもんですね。
その気軽さ、簡便さがメモ帳っぽくていいのかもなぁと思います。

この慕夜記は、僕はゆったりと時間を掛けて真剣に書いています。
ですので、ブログはふざけてやっていこうと思います。
勿論、インターネットラジオとも充分に連動させていきます。

楽しい年明けをみなさんにプレゼントできるよう、身の引き締まる思いです。

新しい年の始まりに、新しいものを始めれる。
なんて幸せな事でしょう。
是非とも、期待して頂きたいです。

さて、今日は夜にはスッカリ、新宿は曙橋にいました。
事務所の先輩・SHIMEさんのやってるユニット・Tequila Circuitのラストライブがあったので、それを見に行って来ました。
店内がいたく混雑していて、人の頭を避けながらステージを見るのが大変でしたが、とっても楽しいライブでした。
SHIMEさんのライブを見るのは久しぶりでしたが、
お客さんの頭の間から背伸びして見たSHIMEさんの頬はしたたかに赤くなっており、
あぁ、今日も酔っておられるなぁと思い、
その赤いSHIMEさんが笑う度、
あぁ、SHIMEさんの唄を聞きにきたなぁと実感するし、
お酒が呑みたくなり、唄が聞きたくなり、唄を口ずさみたくなる。
聞きにきているお客さんの思いってこうなんじゃないかなと感じました。
だから、お客さんも思い思いに音楽を楽しんでいて、
Tequila Circuitならではの雰囲気なのかなぁと思いました。

僕は本当にアコースティックの音が大好きです。
そしてTequila Circuitはフンダンにその音色を耳に送ってくれます。
とっても贅沢だと感じる、演奏と唄。
アコースティックの音ほどごまかしがきかず、まっすぐに人の耳に届くものはありません。
それが寸分も違わず、三人のカタマリで聞ける。
つくづくTequila Circuitが活動を休止する事は残念でなりません。

僕はバンドもユニットも組んだ事がないので、
長く人と同じ音楽を楽しむという事に、多大な憧れを持っています。
矢張り、長く顔を付き合わせ、神経をすり減らす事で、
凸と凹、凹と凸が、時間の中で綺麗にリズムとなり、ハ−モニーとなるんだと思います。
その時間の作り出す独特の息づかいがある音楽が、聞いていて「さすがだなぁ」と思わされるところです。だから僕は、チョイチョイとバンドを組むのに憧れるんです。

Tequila Circuitを聞かせて頂いた縁で、西海孝さんには僕のアルバムやシングルなどでギターを弾いて頂いて本当に感謝しています。まだレコーディングの“レ”の字も知らない頃の僕に呆れず、夜遅くまでレコーディングに付き合って頂きました。
奥沢明雄さんは初めてお話させて頂いた時から、本当に気さくに話して頂きました。奥沢さんの声は鼻にかかったハイトーンで僕は大好きです。

Tequila Circuitを初めて見た夜は、矢張り今夜のお店でした。初めてSHIMEさんを見た夜でした。デビューしたてで、キャシーズソングに所属して、まだ得体のしれない僕を、SHIMEさんはステージに上げて唄わせてくれました。何て懐のあたたかい人なんだろうと思いました。そんな先輩の所作を見て、格好いいなぁと心から思いました。

何だか今夜のTequila Circuitを見ていると、そんな事を沢山思い出し、
自分が素晴らしい人達と知り合えた事を感謝していました。

Tequila Circuit、本当にお疲れ様でした!

大遅刻のススメ 2006/12/26
今日はザンザン降りですね。
ズボンの裾を濡らしたくないもんだから、水溜まりを飛び越して歩くんだけれど、
自分の跳ね上げた滴で、ズボンはビシャビシャ。
今日はお一人ですか?
ご飯は食べましたか?

今日は昼ご飯を食べながら、ドラえもんの道具について語り合いました。
その中で「どこでもドア」の必要性について少しひっかかりました。
「どこでもドア」
僕の生活の中では、どうしても欲しいものにはならず、
考えてみれば、幼い頃から「どこでもドア」についてはそんなに惹かれてませんでした。
それは何故かなと考えてみたのです。

例えば、僕が朝、寝坊をして学校に遅れそうになっているとします。
朝礼まであと5分。登校にかかる時間が10分。
どうしたって間に合いそうにもありません。
そこに同じく眠そうな顔をしたドラえもんが、
「まったく仕方がないなぁ。今回だけだからね」
と“どこでもドア”をポケットから出してくれました。
でも、僕はその扉を開けたいかと言うと、開けたくないんですね。

僕は遅刻する恐怖より、気持ちが乗らないまま学校に行ってしまう恐怖の方が大きかったのです。
僕は朝起きて、ゆっくり支度を整えながら、同時に「今日、学校に行ったら、あんな楽しい事があるぞ」というイメージも準備します。このイメージが僕にとっては大事でした。
学校に行く時は気分を明るくして行きたかったのです。もし、この楽しいイメージが持てないなら、僕は断固として学校を休みました。
遅刻する時というのは、このイメージ作りに時間をかけている時だったんですね。
たった5分、10分遅れていると、
「あぁ、遅刻やぁ。小言を言われるぅ〜」
なんて気持ちが焦ったり、ナーバスになってしまいます。そうすると学校に行くのが嫌になるんですけど、休む訳にはいかない。たった5分や10分の為に1日を台無しにしたくないと思うのです。だから、僕は思い切って30分、もしくは1時間くらい遅刻して、焦りようのない、開き直るしかない状態にします。
その遅刻の道すがら、混雑しない通学路、朝の静かな光の中で充分に遅刻の理由を考えながら登校し、また楽しいイメージをしっかり作るのです。

こういった理由から、僕にとって“どこでもドア”は必要ない、どころか迷惑な道具なんです。僕の一日を作る大事な時間を、強制的に人のもとに追いやられてしまうような気がするのです。あんまり欲しくないなぁ。

それにしても、「時間が守れないどころか、へっちゃらで遅れようとするなんて、不届きものめっ」と思う人が多いでしょうね。そりゃそうだ。みんな、眠くたって決まった時間に学校に来ているのだから。
でも、僕は思うんです。
あの頃、僕なりに学校に行く為、どうしても人より気力が必要だったのです。
もし、遅刻という自己防衛策をしていなかったら、僕は不登校の子になっていたかもしれません。
みんながみんな、身体全部を社会とすり合わせる事は不可能だと思うのです。
社会と自分の考え方には、ちょっぴり違う部分があります。
そのちょっぴり違う部分は、自分なりの方法でうまく帳尻を合わせていかないと心が潰れてしまうと心配するのです。
人は社会の中に生きようとしますね。
大部分、社会と楽しく付き合っているのですが、ちょっぴり社会について行けない部分がある。
それは当然の事で、そこを否定したらいけないと思います。
そのちょっとした一部分をとらえて、
「僕はどうして出来ないんだ?」
と考え込んでしまうと、たったその一部分で自分の全部を否定してしまうが人間の癖でもあると思います。そこは自分なりのリラックス方法で上手く帳尻を合わせていかなくちゃならない。
僕の場合、社会に沿わない部分が多すぎて、帳尻合わせに困るのですが…。

最近は学校の問題が多いです。
僕の中・高校生の時代も、イジメや不登校の問題は深刻であったと思います。
イジメられっ子や不登校の子にとって、一番つらい事は、
「どうして自分はうまく学校の流れに乗っていけないのだろう?」
「どうしてみんなが平気な事が、自分には重圧になってしまうんだろう?」
っていう事じゃないのかなぁと、自分の記憶から勝手に思います。
みんなが当たり前にできていても、自分にどうしても簡単にできない事があります。
みんなの前で大きな声で発言できる子がいて、それを当たり前に考えるならば、
みんなの前で一言、言葉を出すだけと判っていても、恥ずかしさでノドが詰まって、言いたい事が言えない気持ちも当たり前の事と考えるべきだと思います。

僕は兎に角、何気なく学校に行くという事が出来ない人間でした。
一々、気力を持って学校に行きました。
学校にさへ着いてしまえば、後は気楽に過ごすのですが、
朝だけはどうしても気力が必要でした。
これを考慮して下さい、なんてちっとも思いませんでした。
だから、怒られる覚悟を決めて、僕は大遅刻を何回もしました。
僕は学校という楽しい場所で、みんなといられるように、
僕だけの、僕にしか出来ない、僕にしか判らない、
準備の時間、助走の時間を守りました。
だから、みんなと一緒にいる楽しさを作って来れたのだと思っています。

これを読んでいる人の中で、
どうしても気持ちが塞いで、学校や会社、社会に混じっていけない。
と感じている人がいるならば、
まず、それは決して駄目な事ではないと断言します。
でも、それは同時に、
自分だけの、自分にしか判らない、自分の為の準備体操が不足している事だと思います。
何でもかんでも合わせようとし過ぎていると思います。
自分のネックになっているところなんて、たった一部分なんだから、思い切った外れ方で気持ちをゆるめてはいかがかと思います。
たった一部分の準備体操を施せば、他は何ら問題ない事なんでしょうから。
そしてそれは充分に自分で自覚している事でもあるでしょう。
人に強制されて嫌気がさしてしまう前に、是非とも自分だけの準備体操をして下さい。

毎日はどうしても楽しく生きなければいけないし、
絶対に社会の中に生きて行かなければいけません。これ重要ね。
一人では生きれないし、一人の楽しみには限界があります。
楽しくなるイメージを持って一日、
まず明日一日に取り組んでみるというのがいいんじゃないか、
僕はこう思います。

空白の三日間 2006/12/25
今日、人と話していて自分の記憶が欠落している部分を発見した。
僕のプロフィールに度々書かれる『AXIA Artist Audition 99 』このオーディションにノミネートされ、様々な勘違いと共に東京へ出た時の事。
一万通近い応募の中からノミネート作品20組の中に選ばれ、東京で開かれる本選に出席してくれとの連絡を受けた時は、僕は完全にスター気分だった。今から思うと、何故スター気分になれたのか謎が残るが、当時の僕は決まってもいない優勝賞金と名声と仕事を手にした気分一杯で東京に出掛けた。
結論を先に言うと、賞金も名声も仕事も、何も手にする事はできず東京の路頭に迷っただけだった。
まぁ、でも東京に出るきっかけをくれた大事なオーディションだった。

話は、その『AXIA Artist Audition 99 』の本選会場。ドラムロールと回転照明の中、優勝者や特別賞や数々のアーティストが光の中に照らされ、拍手の中で名前を読み上げられていた。僕は最後まで希望を持っていたけど、最後まで僕がいた席は暗いまま、僕は最後まで人に拍手を送り続けたのだった。
そりゃそうで、『AXIA Artist Audition』はあくまで音源のオーディションだから演奏はない。僕の音源と言えば、弾き始めて一週間くらいのピアノの腕での弾き語り、音質もノイズが乗っていてよくないものだった。ノミネートされただけでも奇跡だったのに、僕は優勝までを希望できるほど、勝手な思い込みが原動力の男だった。
結局、僕がもらったのは審査員のサンプラザ中野さんから「巨人の高橋みたいでイイ男ですね」とう言葉だけだった。

授賞式が終わると祝賀会が用意されていた。
僕は東京に辿り着いたばかり、中学校の時の修学旅行とクラシックギターのコンクール、留学ための面接、東京はこの時が5回目だった。賞も取れずじまいで、この先がさすがに心細くなっていた。
何組かのバンドやアーティスト達が、レコード会社や事務所の誘いを受けて話をしている模様だったが、そんな宛さへ僕には迷い込んでこなかった。
正直、愕然としていたから食事がノドを通らなかった。ただ、
「勘違いやったぁ…」
と何度も頭に言い聞かせていた。

兎に角、友達も何もいないから、祝賀会場ではノミネートされた人達と話していた。
その中で、インストロメンタル部門にノミネートされていた津嘉田泰三さんというギタリストとギター話で盛り上がり、少しお酒と食事がノドを通るようになった。
そこへ優秀賞を取って、いたくご機嫌な戸田 和雅子さんが加わった。僕等は三人でお祝いにどこかに呑みに行こうという話になった。

津嘉田泰三さんのギターというのは、牧歌的で僕の耳に素朴なギターのぬくもりを残していた。
そして、戸田 和雅子さんの歌声というのはウキウキしてしまうほど綺麗で、涙が出るほど色気があった。(だから3rd single『右手の旅』のカップリング曲『風の街』で戸田さんにコーラスを入れて頂いた時は、感激のあまり何も言葉が出てこなかった)
兎に角、格段にレベルの違うギター、唄を持つ二人を目の前にして、僕は自分の力量のなさを痛感していた。それは、東京で戦うぞという意気込みであったろうし、二人への尊敬でもあったろうし、自分の勘違いへの強烈なくやしさと嫌悪感でもあったと思う。

僕等は夜の東京へ出掛けた。今から思えばそこは高円寺だった。津嘉田泰三さんがよく呑んでいる店だった。そこは今やどこだったかサッパリ判らない。
今でこそ親しんだ高円寺という街だが、その当時はただ雨に湿った小さな店が肩を寄せ合う街という印象でしかなかった。
僕等は常連のお客さんに囲まれながら乾杯をした。
その後、暫くすると戸田 和雅子さんはしたたかに酔ってしまわれたため、タクシーで帰られた。

ここ。
記憶の欠落はここから。
この時、酔っぱらった戸田さんを津嘉田さんとタクシーに見送って、タクシーの窓で手を振る戸田さんに手を振り返してから後の記憶が欠落している。
この時、恐らく終電をなくしていたと思うし、行く宛もなかったように思う。あったとしても東京に不慣れな僕が終電をなくした場合の過ごし方を知る訳もない。財布は賞金をもらう為、空に近い状態で来ている。
僕は一体その後どうしていたのだろう…?

賞を取れなかった、
力量の差を感じた、
自分の思い込みにホトホト悔しかった、
飯がノドを通っていなかった、
お酒を頂いた、
色んな想いが当時の小さな頭でスパークしたのか、
記憶はその三日後くらいの不動産屋周りで戻っている。
全くの空白な三日間だ。
何してたんだろう、俺は?

考えても突き詰められない時間だが、
とっても大切な唄の根拠を養った時間かもしれないとも思う。
兎に角、その空白の三日を経て、
僕は東京で暮らす方法を模索し始めている。
それまでは留学から戻って、何となくフラフラ音楽に迷い込んでいたけれど、
東京に暮らそうと決意した。
僕にとって、東京は音楽の街、
音楽をやっていなければ立ち寄らなかった。
今でも同じ、音楽をやっていなければ東京に用事は全くない。
つまり、音楽の生活をしようと決意したと言える。

自分でも知らない時間で、
僕は人生の重大な決意をしていたものと思われる。
不思議な事だが、
僕にはあり得る事であるとも、
今は感じている。

イブと異物 2006/12/24
「メリークリスマス!」
と一応は言わなくちゃ、この日は始まらないようなので言ってみます。

今年のクリスマスは、豪華客船のクルーヂング・パーチィに招待されたので、横浜まで行って来ました。そこでロイヤルウイングというレストランシップに乗って、クリスマスに浮かれっ放しのセレブ達に混ざって野球ケンを楽しんできました。まさに酒池肉林のドンチャン騒ぎに僕は辟易して帰ってくる…、

という夢を見ました。

あまり楽しそうなクリスマスの夢ではないですね。

まぁ、それでも友人達が何人か僕の家に集まりパーチィをしたいと言うので、昼間っからチキン(丸鳥の哀れな格好したヤツ)をオーブンで焼き転がし、ツリーを飾り、人数分のプレゼントを用意し、で、もう散々に疲れました。結局友達が来たものの、パーチィの間、僕はソファーの上で眠っていたので…、

という夢を見ました。

これも、身にそぐわないクリスマスです。

本当のところ、僕は夜になってから池袋に出掛け、美味しい中華料理を食べて来ました。ケーキもなく、サンタも来ないクリスマスになりそうです。まぁ、それがどうしたっていうほどにクリスマスに対して今年は希薄なのです。

池袋に向かう道すがら、家の近所でトレーナーにサンダルの男が歩いているのを見ました。彼がコンビニまでちょっと買い物に出たという雰囲気は判るのですが、この季節、この極寒の中にあっては「何かの修行中ですか?」と疑わざるを得ないのです。僕は、どんなに近所であろうと、どんなに深夜で違和感がなかろうと、部屋着で外出する事はできない派閥に属する人間です。この季節でも部屋着にサンダルを一徹に貫き通す彼は『部屋着で外出派閥』の中でも幹部クラス。もう「それはよそ行きのイッチョウラなんですね」と言わざるを得ないです。

そんな男に遭遇しながら池袋に行き、雑居ビルの2階で中華料理を食べました。四川風の中華で、店に入った瞬間から八角の匂いが鼻をこすり、中国暮らしをしていた僕にとっては格別懐かしく、古い記憶を活性化させる店でした。
この店の名物はどうやら“刀削麺”なのですが、この“刀削麺”には思い出が沢山あります。僕は北京に留学中、よく屋台で飯を食べていました。僕の中では“刀削麺”は料理屋で食べるものではなく、屋台の定番料理だったんですね。よく行っていた屋台がありまして、そこのオバちゃんは僕に包子や餃子をよくオマケしてくれました。いつも袋に多めに入れてくれてニコニコしながら、手を振り『お金は要らないよ』のポーズをしてくれました。特に留学当初の不慣れで言葉もよく解らない時期でしたので、嬉しい景色として強烈に覚えています。
ただ、そのオバちゃんの屋台で夕飯に“刀削麺”を食べる時が結構大変でした。勿論美味しいから食べようと思うのですが、何しろ量が多くていつも必死になってたべなきゃいけないんです。“刀削麺”というのはご存知の通り小麦粉の塊から削り落とされた粗い麺ですので、胃には重いんですね。その上、オバちゃんの店では調味料に山椒の実が丸ごと入っているので、誤ってかじってしまった時には顔半分の神経が小1時間はシビれてしまいます。その二重苦と戦いながら食べなくちゃならなかったのが“刀削麺”なのです。オバちゃんは優しくしてくれるから残すのも悪い。食べても食べても減らない“刀削麺”というイメージが僕の脳に刻まれていました。
でも、この池袋の店の“刀削麺”はとてもあっさり食べれて、食べても減らない感はありませんでした。他の料理も美味しくてとても満足させてもらいました。久々の中華にホクホクで店を出ました。

結局、クリスマスとは無縁の事をし、無縁のものを食べて、家に帰って来ました。
行きがけにサンダル男を見た近所のコンビニに立ち寄る時、ふと思いました。考えてみれば僕自身もクリスマスなど季節の風物に疎い人間ですから、サンダル男をとやかく言う事はできないなと。この季節に彼も異物、そして僕も異物なのには違いないです。
コンビニではいつものレジのオジさんがサンタの格好をしていました。それはもう明らかに“着せられてる感”の否めない光景でした。それでも、僕にとっては唯一クリスマスらしい風物ですので、有り難く思います。
僕はサンダル男に敬意を表し、コンビニではアイス(ガリガリ君あまいオレンジ味)を買って帰りました。何事も起きず、サンタなどの侵入者もない、平和なクリスマスを過ごしています。
ただアイスでお腹を冷やしてしまいました。
お腹、痛いです。
せっかく美味しい中華を食べたのに、痛いです。
お腹が、痛いです。
みなさんも、クリスマスのはしゃぎ過ぎには、重々ご用心下さい。

追伸:
ガリガリ君には妹のガリ子ちゃんがいて、ガリ子ちゃんがクリームソーダ味で発売されていました。この静かなムーブメント、あなどれません。

少女漫画が、女の子の人格形成に及ぼす影響…? 2006/12/23
休日にちょくちょく水槽を確認する。金魚達は改めて大きくなったなぁと思う。
一日、変化のない水槽の中でプクプク泳いでいて、僕が顔を近づけると三匹が寄って来る。
「チョーダイ!チョーダイ!」
と口をフカフカ開けながら、お尻を振る。僕はそれに頬ずりの真似をする。
それは水中と空中で愛し合う図として、後世に語り継がれるべき愛の景色と自負している。
僕が欲しいのは金魚達の愛。
そして、金魚達が欲しいのは餌。
何てドライな関係なんだろう。
いいんだよ。僕は君等にとってミツグ君(死語)だとしても、それを愛情と勘違いして楽しんでるんだ。僕っていうお馬鹿な人間は。

金魚と言えば、思い出した事がある。

昔、僕が中学生の頃、妹の部屋で妹に勉強を教えている時の事。
僕は適当に妹の苦手な問題を説明して、練習問題をやらせていた。
妹が練習問題をやっている間、僕は暇になるから、
妹の本棚から少女漫画の雑誌を取り出し、ベッドに寝っ転がりながら読みふける。
これが、俺流の家庭教師だった。

少女漫画を読んでいると、いつも気になっていた。
登場している主役の女の子が、何かにつけてよく涙をこぼし過ぎやしないかと。

憧れの先輩が、
「バカヤロー!心配かけんじゃねーよ!」
と自分のために本気で怒ってくれたら、ポロッ。

親友の女の子が、
「先輩とお似合いだよ」
と自分の為に身を引いてくれたら、ポロッ。

自分の頭の中で、
「もう、バカみたいー!アタシ、そんなつもりじゃないのに…」
と素直になれない自分に、ポロッ。

兎に角、泣きっ放し。
棒のように細い手足の女の子が、よう泣いておる。
その当時、僕はその弊害について考えていた。
こんな泣きのバイブルを世の中の女子が愛読していたら、女の子の泣き虫を増やすんじゃないか、簡単に泣く弱い女の子を作るんじゃないか?
こんなシクシク泣かれたんじゃ堪らないよな、
と思っていた。
ただ、これは僕が中学生の頃の憶測である。

それが、今、この歳になって、その心配の必要がなかった事をつくづく痛感している。
女の子は、シクシクなんて泣きやしない。
シクシク泣くような、しおらしい女の子はいない。
だいたいが、キーッと頭に血が上って、
ぎゃーっと泣かれる。
ぎゃーっと泣くような、強い女の子しか見た事ない。
女の子は、その点、表現がダイレクトで豊かだから面白い。

逆に、男の方がシクシクやらかすもんだと思った。
特に日本男児は感情を表に出し過ぎないように訓練されている。
なかなかツライ場所にあっても、女の子のようにぎゃーっとはできない。
『男は 涙を 見せぬもの、見せぬもの。
ただ 明日へと、明日へと、永遠に…』
永遠に…泣かせてもらえない。
人前では泣けない男は、どうしようもない時、人知れずコッソリ泣く。
だから、だいたいシクシクになる。
男の方が表現下手で、よっぽどしおらしい。
だから女の子の方が人生をよりドラマチックに楽しんでいると思う。
うらやましいと思う事もある。

さて、そろそろみなさんはお気付きかもしれないが、
何故、金魚でこんな話を思い出したかと言うと、
その中学生当時、妹の部屋で家庭教師をやりながらよく読んでいた少女漫画のタイトルが、
『金魚注意報』
だったから。
ま、そこはどうでもいい記憶です。

早めに一年を振り返ります。 2006/12/22
今日、唄い納めました。

今日と言わず、この一年間、ライブを見に来てくれた人。他のバンドの出番を待っている時にふっと耳を傾けてるれた人。

有り難う。

心から感謝しています。

僕はライブが終わってから、住む街に戻り、何だかお腹が空いて来たので、家には帰らず直接近所のファミレスに行きました。
何だか家で食べるのは寂しいなと思ったのです。
あと、今夜は一杯だけ自分の祝杯を挙げたかったのです。僕の家にはお酒はありませんので、その為にもフェミレスに行きました。

ポツンとして、イカ墨スパゲティと100円の白ワインを頂きました。
ワインというのジュースより安いのかぁと相変わらず驚かされます。
別に侘びしく、ケチ臭くいたかったわけじゃなく。僕の住む街が繁華街ではない為に、ここでこうして過ごすしかなかったのです。

今年も一年間、世話になったギターと向かい合って座り、
同じステージで同じ景色を見て来た者同志の会話を、
あれこれとしました。

何かこの一年、本当にご苦労さんと自分に言いたかったですね。
こんな事は生まれて初めてです。
生まれて初めて、自分の過ごした一年をねぎらいました。
まだまだ、反省点の多い男です。お前みたいな奴が何を言うとる!と思う人もおるかもわかりませんが、
僕なりにこの一年必死だったと感じます。
生まれて初めてです。
それだけ今年までが怠けモンだったという事です。
でもこの一年という時間は必死に支え、自分の心を守ってきたように思います。

唇を、今度は歯磨き粉ではなく、イカ墨で黒く塗り、
お腹も満たされ、穏やかになりました。
来年の終わりもここでこうして、自分によく頑張ったなと言えるようにしたいなぁと思います。

出会い、そして別れ、
出会い、また別れ、
別れ、でも出会い、
出会っては、別れ、
別れては、出会う、
出会いの興奮、
別れの儚さ、

まったく夢のように見て来ました。
あん時、あの人にこうすれば良かった。
の連続で一生を終えそうで怖いです。
想いや物事に、やり尽くすという事がないならば、
僕は心を尽くしておきたいです。
それを、まさに君の前で、
君が実感できるように、
僕は来年も唄を唄い、
ギターを弾き、
ステージに立ち、
どんな場所でも、
乞われる場所に行きたいと思っています。

少し早い、一年の総括ですが、
今日のライブのMCでも言った通り、
何事も季節ものが苦手で、
年末の年忘れで込み合う時期には、年忘れはできないのです。

俺よ、
俺よ、
俺よ、
俺よ、

俺よ、俺を果てしない場所まで連れてってくれ。
そして、どんな場所にいても夢を、
夢を、毎日毎日、かなえてくれ。

俺よ、俺よ。

イロハのイーッ 2006/12/21
本日は一路、東京は神田の小川町へ。(って言うほど遠くないけど)
東京に出て来た頃からずっとお世話になっている宮地楽器に行って来ました。

というのも、最近使い始めた音楽機材に僕があまりに不慣れなので、
見かねたK氏がその機材のメーカーと宮地楽器が主催するセミナーに誘ってくれたのです。
僕は兎に角、自分の使う機材の基本となる考え方もまだ解っていないので、
「それが解るまでは、この家には帰るまい」
と、不退転の覚悟で出掛けました。

僕は何しろ“イロハ”が知りたかったのです。
ほとんどの物事は、だいたい“イロハ”が理屈になって、あとはそれを効率よく使うための屁理屈のようなものだと思います。例えて言うなら、算数は、足し算と引き算という“イロハ”の理屈があり、あとは数量や数式が増えた場合に効率をよくするためかけ算や割り算という屁理屈があるという事でしょうか。どんな複雑なかけ算・割り算も、地道に足し・引き算していけば必ず目的の答えには辿り着きますよね。僕は物事を始める時はここを大事にしたいと思っています。
何となく便利さや格好良さでいきなりかけ算をやりたくなったりしますが、“イロハ”を知らないと何か問題が発生した時に、理屈に戻って考える事ができないと思うんですね。それに応用ができない。僕等がパソコンやデジカメなどの最新精密機器にトラブルが起きた時になす術がないのは、その機器の“イロハ”を知らないからなんですね。だいたいのものは、それでもいいと思っています。「故障した」と投げ出せばいい。
でも、今回の音楽機材には本腰を据えなくちゃいけないと思っています。これを使ってやらなきゃいけない事が沢山あるし、無理してローンで買ったから、「故障した」なんて放棄できないし、「使いやすいものに買い替えればいっか」なんてもってのほかなのです。
本腰をいれて物事に取り組む時は、まず時間がかかっても“イロハ”から。
その強い意気込みでもって、宮地楽器に行きました。

だぁが、しかし、
そのセミナーに参加してみると、周りの参加者はどこそこのスタジオで働いているエンジニアの人達だったりして、僕のようなズブの素人はいない雰囲気でした。参加理由を聞いてみたら「新しい機材がどんなものか知りたくて来た」などで、僕のように「是非、僕に“イロハ”を叩き込んでくれ」と思っている人なんていないんですね。
よってセミナー中は僕の覚えるべき事は、ほぼナシ子。僕は楽しく訳の解らない話を聞いていました。実際楽しかったですよ。『あれを使えばこれが出来るなぁ』とか『あれを使えば思っていた事の実現がスムーズだな』とか考えていました。そう、ただ『あれが使えない』だけ。
まぁ、でも僕があんなに苦労してにっちもさっちも使えない機材を、プロはさすがに手際よく動かしていくんですねぇ。それを見ていると、改めて「こんな便利な機材を持っているのかぁ」と感心します。
『使う人が使わないと、ただの箱』
なんでもそうですね。ギターもそうだ。
セミナー中、僕は始終「はぁ」とか「ほう」とか「うお、すっげぇ」の感嘆をもらしていました。
ただ、そのセミナーが終わってからが勝負。居残って、講師の方の周囲から生徒さんがいなくなったのを見計らって、僕は(強引に)個人指導をしてもらいました。
僕の質問は、まさに“イロハ”で、僕自身はこんな初級の質問で講師の方は驚きやしないかなぁと思っていたのですが、本当に優しく丁寧に教えて頂きました。言ってみればバットの握り方、振り方を王貞治監督に教えてもらうようなもんです。でも、その講師の方は見下したところが一つもなく、親身になって答えてくれたので、お陰で僕はとうとう“イロハ”を手に入れる事が出来ました。

しっかし、やる気っていうのは面白い。
学生の時でも、居残ってまで解らないところを先生に質問するなんてなかったのに、
本腰が入ると、どこへでも出掛けていいものを手に入れようという気が満々になります。

明日はLIVE、一応、唄い納めになるかな。
早めに寝ようっと。

それは侵してはいけないサンクチュアリ 2006/12/20
早起きは三文の得。

と、今やこう言われて、
「何?そんなに得するの?じゃあ早起きしなきゃな!」
と思える人は少ないだろうなぁ。

早起きは三万円の得。

だったらどうか?

馬鹿な、お金の問題じゃないよ。
その早く起きた分の時間で、
人が動いてない時間を働いて、
それで、抜きん出て自分の夢に一歩ずつ前進するんぢゃないか。

と思いつつも、三万円だったら判りやすいよなぁ…、動きやすいよなぁ…。
何て考えながら乗った、いつもより早い電車。
時間が早い分、居眠りをする人の数が多くて面白い。

車内アナウンスが、
「女性専用車両を導入しましたので、ご理解とご協力、お願い致します」
と言ってるのを聞いた。
周りを見渡すと、結構男女バラバラと混ざり合って乗っている。
あまり女性専用車両を気にしていない女の人も多いみたい。
じゃぁ、女性専用車両に乗る女の人の気持ちを考えてみた。

もう二度と、痴漢されたくない!

もう二度と、手鏡で覗かれたくない!

もう二度と、耳と掛けて、ミニにタコとか言われたくない!

本当に切実な想いで乗っていると思う。

つまり卑劣な男がいるのが、どうにもやりきれない。
そんな卑劣な男に、女の人が傷つく事があってはならない。
それは、もう絶対あってはいけない。
だから、女の人を守るため女性専用車両があるのは大いに賛成。
僕は賛成する。
つくるべきだ。

でも、多少のマインドの問題がない事もない。

女性専用車両。
言わば、女の人だけのサンクチュアリを作った事によって、
無差別に傷つけられる女の人が減る。
これは大切な事だ。
でも、「男は何をしでかすか判らない危険な生物」と定義付けられている感じがして悲しい。
だって、僕もその男の部類に属しているからだ。

一部、“手鏡”や“ミニにタコ”の部類の人間と同等に、
僕にもその危険性を見られているのは、屈辱的だ。
痴漢行為に欲求がない男にとっては、
それこそ性的差別に聞こえる事もある。
頭っから「お前は危ない」と決め付けられている気がしないでもない。
こんな事を言ったら、きっと誤解されるかもしれないけど、
僕は女性に判ってほしいと言いたいんじゃなくて、
その一部、痴漢趣向の男に、
「お前の性的欲求のために、何で俺までそんな見られ方されなアカンのじゃ!」
と言いたいという事。
「お前の性的欲求のために、何で俺がそんな犠牲を強いられるんじゃ!」
と言いたい。
その点が、個人を主張し過ぎて道徳観の欠けた文化の陰だと思う。

もし、僕が早起きに寝ぼけてて、
うっかり女性専用車両というサンクチュアリに気付かず乗り込んでいたら、
そこに乗っている女の人は僕をどういう人と見るんだろう?
僕は僕の趣向を証明するものがない。
「あなた!一体、何をする気ですかっ!」
何て怒られたら、どうしたらいいのかわからないよなぁ…。

と、まぁそんな事を考えながら電車のつり革にブラ下がっていた。
すると、目の前に座っている女子高生と50くらいの背広のオジさんが、
互いの肩にもたれ合い、頭を寄せ合って居眠りをしているのを見た。

きっと親子ではないだろうから、見知らぬ者同士なんだろう。
二人とも、学校そして会社に着くまでは、兎に角1秒でも長く寝ていたい、
という表情で眠っていた。
それは見知らぬ者同士なんだけど、仲良く見える風景だった。
女性専用車両がある一方で、
こういういい風景がある事も忘れちゃいけないなと思った。

寒し。 2006/12/19
今日はどこにいようと何をしようと一々が寒かった。
つい先日の日曜日に、新高円寺の青梅街道で銀杏の木の見事な黄葉を眺めたばかりだ。
そこを歩きながら、Y社長に今年の紅葉が遅れている事を聞かされて、
「あぁ、なるほど。そう言われてみれば今年はあんまり寒くないですね」
と言った舌の根が、今日の寒風にすっかり乾いてしまった。
こんな年末の押し迫った時期まで、適度に甘やかしておいて突然この寒さはひどい。
心構えもなんもない寒がりの僕は外から戻ると、
フルマラソンを完走したランナーみたいに、がっくり膝に手を突き、
低音で暫く「あぁっぁぁっ…」とうなっていた。

最近、気付くとノロウィルスっていう悪モンに列島は大騒ぎになっていた。
普段から、外出から戻った時には必ずうがいと手洗いを欠かさないが、
改めて人に手洗いとうがいを念押されると、僕は過剰になり過ぎるところがある。
「病気にならんとこうと思って、必死やん…」
と友達に言われる。
「んん…、ま、間違いないわ」

外から戻って、丹念に手を洗い、うがいをすると、トイレに入りたかった事を思い出す。
用を足し、出て来てまた丹念に手を洗い直す。
コートを着っ放しだった事に気付き、コートを掛ける。
改めて見ると、自分のコートが何だかノロウィルスの巣のように思えて来る。
で、また何となく手を洗ってみるという不効率さ。
段取りが得意ではない。
「手洗いたくて、必死やん…」
と友達が言う。
「まぁ…間違いないわ」

僕は今日、昨夜の慕夜記に何気なく書いた食事・狼喰いに心が浸されていた。
一体どんな気分なのか今日は、
どの飯も、ノドに押し込もうとする度、
ツーンと悲しかった。
ふと気を抜いてモグモグやっていると、
不意にグスンと目の奥が痛かった。
一体どんな気分なのか今日は、
どんな飯も美味かった。
今日は全ての食事を一人で過ごしたからかなと思った。
でも、特別に珍しい事でもない。
けど、昨夜の慕夜記に妙に浸されていた。


へへっ


今日の弁当屋のオバちゃんには思いっ切り元気よく挨拶し、
思いっ切り元気よく注文した。
そのお陰でオバちゃんはいつもより活気に満ちて挨拶を返してくれた。

何かを渡し、何かが返って来る。
この年末にヒシヒシと感じ、感謝する事だ。
そして、
とっても暖かい何かを頂いたから、
今度こそ何かを返すんだと、新しい一年に想う。
つくづく、人の中に生きる甲斐を感じる。
全ての人に、全ての人に、
僕を知る、全ての人に。

より一層、人の中にいるために、
僕はいつも自分の事を空しくして、
誰が入って来ても、精一杯のおもてなしができるよう、
そしてどんな事物も素直に映し出せるよう、
兎に角、自分を捨て、自分の考えを捨て、自分の意地を全部火中に焦がしてしまわなくちゃいけない。
自分を空しくする。
自分を空しくする。

新年まで待てない。
また明日から、新しい日として進んでみよう。

大喰うべき時、涙の味。 2006/12/18
テレビなどで大喰い選手権を見るのが苦手だ。
単純に胸焼けがして食欲が失せるという理由がひとつある。
ただ、どうもそれだけが苦手な理由じゃないと思い出した。

僕は食事に変なイメージがある。
ずっと昔の慕夜記にも書いた事があると思うが、
定食屋さんに一人、無言で食事に専念する男というのに僕の涙腺は弱い。
まず、孤独な食事をしているのを見るのがとてもがつらい。
気ままなブランチをしている一人のOLを見ても何とも思わないが、
夜の定食屋さんに夕食を摂取している一匹狼には涙が出そうになる。

昔、大学の時、苦手な男がいた。
鼻息だけが荒くて、腹の立つ奴だったけど、
或る夜、そいつが一人で屋台の炒飯をむさぼっている姿を見て、
男の食事って何てきれいな姿だろうと思ったことがある。
俺にとっては、悔しさと悲しさと負けん気が合わさった景色に見える。
男一匹の食事は物凄く一途な姿だ。
話す相手もなく、視線を置く対象もいない。
ただ、皿に盛られた料理を見て、味わう暇もなく寡黙に喰う。
そう、必死に料理を睨みつけ、飲み込むようにして喰う。
そんなんだから、時折、ノドに噛み切れていない料理が詰まったりする。
そして少し涙目になったりする。
でも、そんな恥ずかしい表情を公衆に晒す事はできない。
なるべく他と目を合わせないようにコップの水を持ち視線を天井に向ける、
グビッと胃に押し通せば、
また阿修羅のような食事を続ける。

全ての男子にこの食事が許されているが、
この狼喰いをするには条件があるものと思う。
まず、食事に対してグルメであってはいけない、
「うまい」「まずい」を口に出来るような男では絵になる食事はできない。
何故かというと、その男は何かに飢えていなければいけないからだ。

愛情に飢える、
お金に飢える、
優しさに飢える、
夢に飢える。

この飢えた状態で食事をするから、その背中に例えようのない悲しさを背負える。
味わうような余裕は出てこない筈だ。
でも、飢えているからと言って、この条件だけでも狼喰いはできない。
たとえ何かに飢えた状態であったとしても、それに気が滅入っていたら失格になる。
狼喰いというのは、
どうしようもない悲しさを
どうしようもない惨めさを、
ひもじさを、
悔しさを、
喰う事によって、咀嚼する事によって、飲み込む事によって、
全部を胃に収めてやろうという気が発せられていなくちゃならない。
目標のため、食事という幸せな時間でさえも戦ってやるんだという、
自尊と負けん気が、男の一途さをより研ぎすます。

僕は最近、狼喰いをする事がなくなった。
外国の旅先ではよくやる。
旅に疲れ、苦しみ、悶絶し、それがピークに達する頃、
こんなんでぶっ倒れる訳にはいかない、このままでは死んでしまう、
と思った、ここ一番。
英気を充実させるような狼喰いができるタイミングが、
一つの旅行に必ず一回はある。
旅はこの食事以降に一段とキラメキ、眼に映るものに実感が持てるようになり出す。
その食事は、そのタイミングで食べなきゃ、
きっとまずいと思うような料理なのかもしれないほど質素だが、
狼喰いによって、地上最高の味になる。

女、子供はさておき、
男のグルメとは本来、これくらい粗野で、味を知らないものだと思う。
男というもの、舌で味わって食事はしないと思う。
ノドで味わっている。

以前、僕は悔しくて、また情けなくて、それでもその惨めさを吹っ切りたくて、
一人の部屋でテンヤモンの弁当を泣きながら喰った事がある。
ノドにツーンとした痛みがあり、
そこを食事が通る刺激で、その度に涙が弁当に落ちた。
僕は兎に角グイグイその弁当を飲み込んでいった。

そのへんの想いがオーバーラップするから、
テレビなどで大喰い選手権を見るのが苦手だ。
簡易的にはああいう男の真の姿を見たくないと思ってしまうんだ。

歯磨き粉とは 2006/12/18
今日は起きて即、吉川みきさんに電話した。
みきさんと軽い仕事の話をして、
その他、僕が今パソコンの音楽ソフトの扱いに苦戦している旨をお伝えしたら、
「や〜い、や〜い。私だって苦労したんだから、一年くらいは悩んでよ〜」
と有り難いアドバイスを頂きました。
みきさんはライブの準備で忙しい、
僕は後輩として、少しでもみきさんのストレス発散のお手伝いができたのかなと、
僕なりに成し遂げた感じはあった。

でも、今日はその情緒に浸ってられない、
その後、即、今度は後楽園へ足を向ける。
即を絵に描いたようなドタバタな出だしだった。
何だか日曜気分でいるところ、予定に向かうって大変だよなぁと思う。

とまれ、その後楽園へ向かう電車の中、僕は乾燥した唇をペロッと舐めた。
そいつは甘かった。
「はて?」
と思い、もう一度自分の唇を舐める。
矢っ張り甘い。
そしてその甘さは歯磨き粉のハッカの匂いがする甘さだった。

ここで思い出した事、
以前、みきさんとご飯を食べた時、待ち合わせに現れたみきさんの口元が白く歯磨き化粧されているのを発見して、
事務所のY社長と大いに笑ってしまった。
この事に関しては、みきさんご自身も2006年11月01日のブログに書いておられるので、
気になる方は、みきさんご自身の言葉で確認して頂きたい。

しかし、まさか、石橋を叩いて壊すほど慎重と用心を重ねて来た筈の僕が、
歯磨き粉を口に塗ったまま出て来るだろうか?
僕は不安になって、舌で届く限りの唇を、あっちこっち舐めてみた。
甘い、その甘さは歯磨き粉のハッカのそれだ。
確かめようにも、僕は女性と違って、身だしなみをチェックする為の手鏡を携帯しない。
確かめる術がない。

考えてみたら、確かに今日の出がけは慌ただしかった。
この点、みきさんが歯磨き粉を口に化粧したまま出掛ける理由と同じだ。
僕はスッカリ歯磨きの粗雑さを気にしないで、
「グチュグチュ、ぺぇ」
としたまんまで家を出た。
しかも今日は出がけにみきさんと話している。
何らかの念を受けたとしても不思議ではない。

手鏡のない僕は、地下に入った電車の窓で自分の口を確認した。
見える訳がない。
そうして窓を眺めていると、みきさんの笑う顔が浮かんだ。
「や〜い、や〜い、お前もやん」
みたいな。
そしてこの事をみきさんにお伝えすれば、
忙しいみきさんのストレス緩和にもう一つお役に立てるかなとも思った。
あ、でもどうしよっかな。
僕、あの時、大笑いしちゃったもんな。
どうしよっかな、
黙っておけば、僕だけは慎重な人間でいられるものなぁ、
秘密にしとこ、
あ、でも、男らしくないよなぁ、
どうしよっかなぁ、
言おっかなぁ…。

厠にて 2006/12/16
トイレで少し考え事をしていた。

  高校の頃、岐阜の街で毎日目にしていたホームレスの人達や、中国、インドの旅先で触れ合った物乞いの人達。僕はこの人達を見るたびに異常に疲れ切っていた。何故だろうって考えていた。

  矢っ張り、僕のエゴの強さだろうなと思う。今、生きている事に何か意味があり、その意味合いに向かって歩いているというエゴが強過ぎたんだと思う。生きる意味合い、穏やかに眠れる部屋、お腹を満たす金、どれもこれも捨てる事ができない、どれもこれもなくては困るものだと思い込み過ぎているところがあると思う。だから、物乞いの人達を見ていると、
「お前がいくら怖がっても、なくなる時はなくなる。家も、家族も、お金もなくして、天涯の孤独になる恐怖にお前は異常に執着している。でも、なくなる時はなくなる。なくなったら『どうやって生きていくんだ?』って思うだろう?どんな状況でも死ぬ事はできない運命だよ。お前が今目の前で見ている通り、こうして道行く人にお願いしながら生きて行けるか?」
と、自分勝手な自問をして苦しんでしまう。

  中国ではストリートチルドレンが僕の前に土下座して、何度もアスファルトに頭をゴンゴンぶつけてお金をくれと言った。インドでは赤子を抱えた老婆が僕の袖をとらえて必死に空腹を訴えた。そんな人達は場所をかえてそこら中にいた。僕はたまたま日本で生まれただけで、彼等にとっての“金持ち”になる。何と言う不平等だろうと嘆いていたけれど、そもそも、その“不平等”という考え自体が傲慢だったなと思う。

  自分の人生にはきっと何か意味があり、また指命があるだろうという期待を持っているから、物乞いをして暮らす人の生活が不毛に見えてしまう、随分失礼な考え方だった。僕と彼等、そして誰もが同じ地上に立っている。自分が幸福で、彼等が不幸という哀れみは矢っ張り傲慢だ。例えば彼等を日本に連れて来て僕の部屋に住まわせ、僕と同じ電車に乗せ、僕の毎日を見させたら、きっと「悲惨だなぁ」とその無情さを哀れむだろう。

  結局、人の幸、不幸は環境じゃなく人の心のあり方なんだろう。
  矢っ張り、人は幸せに生きて行かなきゃ駄目だと思う。どんな一日も澄んだ心で働き、澄んだ気持ちで人と触れ合い、優劣をつけず嫉妬をもたず、自分から幸せを自分の中に作らなきゃ行けない。幸せに生きる事が人生に唯一課せられた夢だと思う。小さな事に閉ざされて不幸のズンドコにいてはいけないと思う。何を得ようと、何を失おうと、毎日を変わらず幸せに感じれなければいけない。この事においては、物乞いの人であろうと誰であろうと変わりなく平等だと思う。僕はまだ失う恐怖を持っている。だからそこに不幸を呼び込んでしまう。これこそ哀れだ。

  失う物には限りがあると思いがちだけど決してそうではないと思う。どんな小さな事だって人によっては恥になり、家を失い、仕事を失い、服、居場所を失っても、いつだって「これだけは守りたい」と思う物がある。失う物の歯止めをきかせるのは心だ。どこかで現状を幸福にできなければ、いつまでも失い続けるんだろう。

  僕はいつか、あのストリートチルドレンの目をまっすぐ見て、幸福な気持ちを持ち合おうと伝え、一緒に飯を喰える日が来るように生きれるようにしたい。

僕は天才 2006/12/15
今日は一日、家に引き蘢り、あれこれ作業に没頭してた。
作業に没頭してたのかな?
使い慣れない機械と格闘しては疲弊し、気分を持ち直しては没頭し、
う…ん、矢っ張り、作業にボゥっとしてたっていうのが正解かなぁ。
まぁ、いいや。

「そんな事も知らないの?」
という言葉がある。学校や仕事場に転がる聞き慣れた言葉だ。
ただ、僕はこの言葉が大っ嫌いだな。
僕は世の中の人全員が絶対に知ってなきゃいけない事なんてないと思っている。
人それぞれ、興味があり、特性がある。
偏差値で計れる人間性なんてある訳がない。
それを忘れて、自分の知識を絶対のものと勘違いしてはいけないんだと思う。
だから、
「そんな事も知らないの?」
と平気で言う奴は、馬鹿に見える。
そんな事をいう奴の知識には感心しない、
「そんなつまらない事まで知っているのか」
と言ってやりたくなる。

あぁ、何だか言葉遣いが汚くなって来た。何故だろう?

今、きっと受験で忙しい時期に入っているんでしょ?
でもさ、そんな話を聞くたびに、何だかむなしい気持ちになるんだよなぁ。
君が将来やりたい事や夢があるんなら、その夢に必要のない勉強なんかはしなくていいよな。
将来に必要ない所を、一様に偏差値で計られたくないよな。
勉強って自分の将来のためにやるんだろう?
受験のための勉強じゃないんだろう?
ピッチャーに向いている人が、サードの練習をやらされて、
うまく出来なかったら、
「そんな事もできないの?」
って屈辱を浴びせられるのは変じゃないか。

どうしたって人は知識を全てと感じる傾向にある。
確かに物には道理があって、ほんの少し興味を持てばあっという間に理解できるものばかりだ。
ただ、興味がないだけなんだよ。
はっきり感じる事は、脳ミソに優劣はないという事。
あってたまるか、
絶対に平等なんだよ。
だから、天才も馬鹿もいない。
ちょっと算数が苦手なくらい、
ちょっと国語が苦手なくらい、
学校の勉強に興味が持てないくらい、
そんな事では君の才能は傷つけられてはいけないよ。
君は君の好きな事をやっていれば、
自然と天才になるんだ。

本郷にて 2006/12/14
 今日は寝れてない。それだけに、ふと気を許すと違う世界にトリップして店先のゴミ箱に激突してしまう。夕刻の入り口、昨晩の酒が頭から抜けた頃に出掛けた僕は、出先であいにくの雨に閉口する。

  本日は東京都は文京区本郷まで、ちょいとお出掛け。本郷とは東京大学が赤い門を開いて知性をさらしておるところね。ちなみに我が家の金魚達はこの街の『金魚坂』という金魚屋さんから買われて来た子達なんです。
  で、何故本郷に行ったのかと言いますと、友人の狐穴(キツネアナと読みます。コケツではなしこヨ)氏から誘いを受けて、彫刻の個展を見に行ったんです。
  東大前の本郷通りにはいかにも古い本屋さんや定食屋さんが立ち並び、学生街らしさを彩っています。それらを横目に気を取られながら歩き、「おっ」と目に止まったギャラリー。それは一段と古〜い本屋さんを一部改築してギャラリーのスペースを作った新旧折衷で趣きタップリの場所。そこで目的の個展が開かれていました。

  個展をやられていたのは、台湾の彫刻家・夏愛華(シァ・アイ・ホァ)女史。“女史”というのは女性に付ける敬称(“夏さん”といったニュアンス)として北京で学んだのですが、これを付けて夏さんの名前を呼んだらば「小姐(”夏チャン”と言ったニュアンス)」に訂正されました。きっと“小姐”が僕の思う“初対面の女性に対して失礼な呼び方”とは違うんでしょうね。昔、僕が北京で暮らしている折、初対面の女性に「○○小姐」と呼んだら「小娘扱いをするな」と叱られたという事があったのです。同じ中国語の“小姐”には台湾と北京で微妙なニュアンスの違いがあるのかなぁと思いました。或いは、ただ単純に僕が間違った使い方をしていたのか。

  夏さんは漆を使った、いわゆる乾漆造(と思うのですが)で作品を作っておられました。ここで僕は自分がスッカリ勘違いしていた事を夏さんに教えて頂きました。漆というのはお茶碗に塗ったりするものなので、同様に乾漆造というのも木彫りの上に漆で薄くコーティングしたようなものだとてっきり思い込んでいました。ですが、これらの作品は漆のみを固めてできているんです。そして、中も中空だったりして乾漆造を勘違いしていました。勉強になりました。ちなみに「漆をふんだんに使って、カブれたりしませんか?」と素朴な疑問をぶつけてみましたら「私は大丈夫みたい」とおっしゃってました。

  夏さんの作品は、森の奥にある“もう一つの世界”から連れきた住人や植物をイメージしたものといった感じです。『この辺のイメージは、作者である夏さんがとっても大切にされているところなので、僕みたいなものが上手く説明できず、御幣があったら申し訳ございません。』
  僕は彫刻などに対する素養が浅く、自分の感動を上手く文章にできないのですが、夏さんの作品、森の中の“もう一つの世界”の植物を見ていると、僕にとってはホオズキのような色合いであったり、山茄子のような色合いに見え、その色彩の鮮やかなものがとっても綺麗で引き込まれました。きっと、それらの作品が持つ、ちょっとしたトゲや、毒性みたいな雰囲気にとっても惹かれたんだと思います。自分を魅了する、あまりに鮮やかな植物には大概毒があるっていう危うさ。その危うさが好きで、夏さんが作る綺麗な植物の陰に少しそのトゲが見え隠れするのが好きです。素晴らしい世界観と作品だなと思いました。
  是非、見に行って欲しいなと思うのですが、個展は今日が最終日。まったく、狐穴氏がもう少し早く誘ってくれてたらなぁと思います。何しろ久しぶりにギャラリーなんぞに顔出して、いつもの1,5倍頭が良くなった気分です。でも、これは勝手な思い込み。

  この個展をプロデュースされている黄【女冊】【女冊】(ごめんなさい、パソコンの中に漢字が入っていないんです。女偏に冊とかいて“サン”。ホワン・サン・サン)女史さんとも話せて楽しかったです。黄さんも台湾の方で、矢張り“小姐”と直されました。この素敵なギャラリーを選んだのは黄さんだそうです。笑うと物凄く可愛らしい人で、温かいお茶を出して頂き、台湾の話や食べ物の話で盛り上がりました。台湾に行きたくなったなぁ。夜市やパイナップル饅頭、そしてお茶等々、話を聞いているだけでウキウキする。黄さんが「台湾にもライブ・バーがあるよ。ライブできるよ」とおっしゃってくれました。あぁ、アジア進出。何てきらびやかな響きだろう。アコースティックギター片手にアジアで唄う。何てノドの潤う夢だろう。韓流ならぬ日流として、アジアで友好の架け橋になれるのなら、僕は何もかもを質屋に入れ、他の幸福を犠牲にしてもかまわない。あぁ、アジャよぉ…連れてっておくれ。っで、これも勝手な思い込み。

  ってな事で、雨に濡れて帰りましたが、とってもいい時間でした。人の作品に触れるって贅沢な時間だね。

本当に有り難う、そしてお疲れ様、
夏小姐!
黄小姐!

思い出、残ってる〜 2006/12/13
一日の終わり、結局「両国」に着いた。

  両国と言えば両国国技館。相撲ファンにとってチベットと言えばポタラ宮というようなものだ。
  今の僕は相撲に希薄である。
  でもその昔、高校の頃、僕は相撲にのめり込んでいた。智乃花や舞の海、若花田(若乃花)などの小兵力士が大活躍した時期で、琴稲妻や水戸泉、栃乃和歌などのシブい相撲、寺尾や貴闘力の荒っぽい突きが楽しい時代だった。あの頃は今と違って曙が負ける事はなかったし、貴乃花が「マサルシがぁ」と言う事もなかった。毎日、目当ての力士を応援し一喜一憂していた。
  その高校時代、一緒に相撲にのめり込んだ同級生三人と両国で久しぶりに会う事ができた。個別には会っているけど、四人がそろうのは6年振りくらいだと思う。兎に角、未だに仲のいい四人で、会うと陽気にいつまでも話してしまう。世の中に腐れ縁という言葉があるが、俺達には当てはまらない。時間がズルズル引っ張ってきた縁ではなくて、あくまで仲の良さが引っ張って来た15年来の縁なんだ。両国で会った僕等は夕飯に『霧島』というちゃんこ料理屋を選んだ。『霧島』と言えば、高校時代、相撲にのめり込む僕等四人にとって至高の大関だった。褐色の肌つやがよく、お腹は見事に丸い。寡黙な表情でまさに薩摩隼人といった風貌だった。霧島は立ち合うとすぐに土俵際まで追い詰められる。あっという間に土俵際まで押されるが、そこからの粘り腰が尋常ではなかった。そこでエビ反りになって相手の猛攻を受け、最後には身体をひねって「うっちゃり」で勝つ。そして、毎度毎度のこの取り口を僕等は崇拝していた。その霧島は今は陸奥部屋の陸奥親方になり、陸奥親方としてちゃんこ料理屋をやっているという訳だ。
  僕等はそこで大いに喰い、呑み。その後は一人の家に行ってまた大いに呑んだ。語り合う中で、それぞれの生き方が特別な光彩を放つ時期に来たと思った。昔はただ意味のない言葉を並べてひたすら喜ぶだけだったけれど、今はそれぞれの口から発せられる言葉が異様な存在感を持っている。矢っ張り、それぞれがそれぞれの活躍の場で苦労を重ねているだけの事はある。会話は翌朝にまで及び、そのまま雑魚寝して帰って来た。
  朝の寝ぼけと二日酔いの頭がジンジンしている中、電車に乗って帰る。僕は至極幸せだった。
  この四人でいると、思いっ切り陽気になれる。帰りもその気分を引っ張って帰って来た。
  そのフワフワした頭の中で
「思い出残せな〜い、子供が信じな〜い、南天のど飴〜」
をずっと唄ってた。これが出ると気分がいい証拠である。

忘年会シーズン イン ザ トレイン 2006/12/12
最近電車に乗ると、顔を赤らめたオッちゃんを目撃する事が多くなった気がする。
別にオヤジの恥らいではない。単純に酔うておる。
忘年会シーズンの到来だ。

この時期の有楽町線に乗ると思い出す事がある。

  それは数年前、僕が当時やっていたラジオ番組『Men's Breath』の収録を有楽町で終えた帰り道の事だった。季節は忘年会とクリスマスはしゃぎの真っ只中で、街と人は華やぎ、どこか興奮気味だった。
  兎に角、早く帰って一人になりたかった僕は、収録で使ったギターをズッシリ背負って、街の華やぎには目もくれず有楽町線有楽町駅まで疲れた身体を運んだ。有楽町から僕の街まではこの有楽町線一本で帰る事ができる。でも、二つの私鉄が有楽町線とつながっている為、一本乗り過ごすと結構ややこしく待たされてしまう。実際、『Men's Breath』収録の帰り道の大半では、上手く乗れば30分で帰れるところ、無駄な待ちぼうけをさせられて1時間もかかって家に戻る事が多かった。
  さてこの日。この日はプラットホームに着いたタイミングがよく、乗るべき電車に一本目で乗る事ができ、僕は久しぶりに無駄なく30分で家に帰れそうだった。だったのに…。

  電車の中は仕事帰りではなくハシャギ帰りの人達で混んでいた。「キツイけど我慢」ギターを持って東京の電車に乗るのはもう慣れている。僕は一生懸命足を踏ん張り、ギターを守って乗っていた。
  いくつか駅を越すうちに、僕の目の前、ちょうど口元辺りにいつからかハゲ頭が揺れていた。いや、性格には白いバーコード頭だった。これがさっきから僕の口元をユラユラして力が入っていない。ともすると白いバーコード頭はキスをしてしまいそうなくらいに接近したりする。だけど、僕はギターを守るためそれをよける事はできない、よしんばここでこのバーコード頭を自分の口で読み取る事があっても仕方ないなと覚悟していた。

  電車は都心を出る頃に揺れが大きくなる。したがって客はより踏ん張っていないといけなくなる。僕も、誰もが「フンっ」と腰を据えて揺れに備えていた。しかし、白いバーコード頭だけは揺れに備えるどころか、より大きなスイングを振り始めた。
「しかし、大丈夫かなぁ?」
と僕が心配するその矢先だった。白いバーコード頭は大き過ぎるスイングと共に僕の身体へ、ペタンともたれ掛かってきた。そして、そのままズルズル尻餅をつき、しまいには力なく倒れてしまった。見ると白いバーコード頭とは人の良さそうな小柄のオッちゃんだった。僕は片手でギターを守り、片手でオッちゃんの脇を支えて、
「大丈夫ですか?もしもし大丈夫ですか?」
と声を掛けていた。が、オッちゃんは全く反応しなかった。これはいよいよ危ないと思い、僕は次の駅で降りる事を決断した。
  しかし、電車はキツク混み合っている。ギターと成人男性を抱えて、短時間で駅に引き摺り下ろすのは至難の業だ。でもこの状況下で僕に残されたのは、その至難の業を敢行する道だけだった。
  電車が次の駅に滑り込む。僕自身は必死だったから、細かい事はよく覚えていないけれど、どうやらギターを先ず人に預けたらしい。そして、両手でオッちゃんの脇を担ぎ上げ、ズルズル引っ張って駅まで引き摺り下ろす事には成功した。そして、オッちゃんを安全な位置まで引きずっていき、壁にもたれさせた。オッちゃんはその騒がしい時間の中でも全く気を失っている。
「大丈夫ですか?」
返答がない。駅員を呼ぼうと思ったが近くに駅員がいない。

「プルルルル」
と電車が出発する音が聞こえた。オッちゃんの蘇生に夢中になっていた僕の頭に一瞬、
「マズイ、電車にギターを置きっ放しや」という危機感がよぎった。
人の命と思って夢中で飛び出したとは言え、万が一愛器を失う事になればこれだけは悔やまれる。何しろこのギターには僕だけではなく人との約束が詰まっていて、買い替えようのないものなのだ。慌てて振り返ると、意外にも見知らぬ女の人が僕のギターを抱えて電車から降りていた。どうやら僕にギターを預けられてしまった彼女はオッちゃんとギターが心配で電車を降りざるを得なかったようだ。「良かった」瞬時の心配は瞬時に解決した。
  僕は夢中だった、その彼女にギターはその辺に置いておいて急いで駅員を呼ぶように頼んだ。そして、彼女が駅員を呼びに言っている間、僕はオッちゃんに向かって声を掛け続けていた、
「オッちゃん、聞こえるか?大丈夫ですか?オッちゃん!」
しかし、オッちゃんは力なく、全く無反応のままだった。
やがて彼女が駅員を連れて戻ってきた。駅員が慣れた感じで呼びかける中、僕と彼女はオッちゃんの白いバーコードが力なく乱れているのを心配で見守っていた。すると、

すると意識を失っていたオッちゃんがピクリと動いた。
「おっ!」と思うや否や、As soon asで

「も〜ぅ、呑めませ〜ん」

  あれほど意識を失っていたオッちゃんの顔はいつの間にかニタニタ笑っていた。
  僕も見知らぬ女性も見知らぬ駅員も暫く事態がつかめないでいたけれど、
「酔っぱらってんのかい!」
という同時ツッコミで結末を迎えた。
人はこういう時には馬鹿笑いするらしい。
  僕は心配で夢中になっていた自分が可笑しくて仕方なく、ただ馬鹿笑いをしていた。
  駅員はオッちゃんに駅員室で少し休んで行くよう薦め、オッちゃんはそれでもヨレヨレで僕等の方も見ずに駅員に連行されて行った。僕は暫く笑いが収まらなかった。
  僕とギターを持って降りてくれた彼女は、人気のないプラットーホームに取り残された。僕が一人でクスクス笑っているのを見て、彼女は苦笑いをしていた。
「よかったですね」
彼女は言った。
「いや、エエ酒呑んでる」
僕が答える。
「私、ビックリして」
「僕もですよ」
「初めて見ました」
「僕もです」
「でも良かったですね」
「本当によかったです。ギター、有り難う」
「いえ……」
「………」
「………」
「おかげで僕、電車を乗り過ごしちゃった」
「東武線?」
「いや、西武線。東武線?」
「いや、私も西武線です」
「暫く西武線はこないでしょう」
「そうですね」
「オッちゃんにやられたなぁ」
「本当ですね」
『間もなく○番ホームに東武東上線直通電車が参ります。白線の後ろに下がってお待ち下さ〜い』
「東上線かぁ」
「………」
頭に別の考えが浮かんだ。
『暫くどっかで珈琲でも飲んでいきませんか?』
の一言。この奇妙な縁を、何もなさそうな駅で語らってから帰るのも悪くない。そう思って口を開こうとした瞬間、
「ゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
と電車がプラットホームに入って来た。「どっかで…」がそれに消えた。
  女の子は「?」という顔をした。僕は僕で一度消された言葉をもう一度言うのが面倒だし無粋な気がした。僕は「こういう縁だ」と思い返し、
「僕はどっかで時間つぶしてから帰ります。それじゃあ」
と言って駅を出た。

  何だか損したのか得したのかわからない、兎に角時間だけはかかった出来事だった。気分としては楽しくなったから得したのかな。
  最近電車に乗ると、顔を赤らめたオッちゃんを目撃する事が多くなった気がする。
  呑めない酒にはご用心。
  フワフワしたオッちゃんにご用心。
  そして、うろっと誘いたくなる浮ついた心にも、
  ご用心、ご用心。

のり弁 2006/12/11
 すっかり寒くなって、身体はいよいよ力が抜けず、ガッチガチに固まります。

「こんちは〜、すみませ〜ん」
弁当屋に行くと、いつものオバちゃんが顔を見せる。
「のり弁?」
と聞かれ、
「うん、お願いします」
と答える。こんな簡素な会話で毎日の昼飯は出来上がって来る。
  僕の昼飯は色気を出す事なく『のり弁』に一途だ。毎日同じものを頼むからオバちゃんの方でも面倒がない。僕はこの店の常連と言って差し支えはないだろう。これほど簡単な事はない。僕という少し顔の濃い男が来たならば「のり弁?」とだけ聞けばいい。必ず僕は「うん」と答えるから。
  僕もオバちゃんも結構顔を合わせている仲なのに、それ以上、込み入った会話はしない。毎日とはいかないまでも、週の半分は顔を合わせているのに、何だか今更「のり弁」以外の会話をするのに照れくさくなってしまっている。要因の一つに弁当屋という社交的な仕事の割にオバちゃんが少し照れ屋に過ぎる事もあるとは思うのだが。
  こんな関係って割とある。例えば近所のカレー屋の息子、とは言え僕より年上で子持ちの男。矢張り彼とも毎朝とはいかないまでも、週の半分は眠い顔を合わせ、よく知っている。けど話した事は一度もない。一度、何かのタイミングで目を合わせ、互いの認識をした時、どちらからともなく僕と彼は目を逸らして、それ以来の関係を作ってしまった。挨拶の一つでもすればいいのだが、もともと話す義理もない関係だけに、こうなった関係は変え難い。弁当屋のオバちゃんとも次第にそんな間柄になりつつある。それは何かのタイミングで、矢張りどちらかが照れてしまい、お互いが踏み込んだ事はしないように決めてしまったのかもしれない。こんな事も一つの人間関係として僕は愛すべきものと思う。決して無関心が作る関係じゃない、愛情のもとに成り立っている。以前、吉川みきさんと江古田のファミレスに入り、僕が注文を取りに来た女の子に無駄話をしていたら「信用できない男」とたしなめられた事がある。僕は普段、定食屋でも旅先でも何だか誰かに話しかけたくなる性質があるのだが、この街の毎日の関係には不思議な距離感を持っている。オバちゃんは「のり弁」を作る仕事に専念し、僕は毎回「のり弁」を愛する仕事に専念する。そして双方には誠意がある。 僕はグルメではないけれど、この店の「のり弁」は確かに美味しい。白身魚フライがサクサクしている事と、この奇妙な人間関係が、僕をして大好物たらしめているんだ。

  ところで、このオバちゃんはつい最近までTシャツ一枚でいつも仕事をしていた。僕はコートにマフラーといったコチコチの寒がり。店の中と外では意外なほどの温度差がある。オバちゃんの温度感を僕は不思議に思っていたけれど、前述の通りの人間関係に波は立てられず、不思議のままに置いておいた。

  でも、今日、とうとう気まぐれが起きた。僕はあれほど守って来た距離を何の理由もなく、また意気込みもなく、単純な気まぐれで踏み込んでしまった。いつも通り「のり弁」作りに専念するオバちゃんの背中に話しかけてしまった。
「いつもTシャツで寒くないですか?」
オバちゃんの方ではいつも通りの人間関係に専念していただけに、驚いたようだった。
「店の中で動いてるから寒くないですよ」
「あぁ、僕なんかこの通りで寒くて仕方がないですよ」
「今そんなんで、この先、どんどん着込んでいくつもりですか?」
「そうですね、そうなるしかないですね」
「はい、のり弁」
「どうも、有り難う」
会話は終わった。僕は気まぐれで話しかけたもののオバちゃんの照れに押し返された形でどこかぎこちなく、結局、気まぐれは気まぐれで終わり、いつもの距離感に戻った。人間関係はうまく出来ている。互いの持ち場があるから、ちょっとした事件がどうにも可笑しい。

  僕は明日の昼も「のり弁」を買いに行く。また当分は、
「のり弁?」
「はい、お願いします」
の関係を続ける事になるだろうな。

手紙 2006/12/10
 荒らされた掲示板の中に、みんなからメッセージを頂きました。本当に有り難う。心配かけてごめんね。こんな無差別テロみたいな無茶苦茶な攻撃の防衛策を、今、デザイナーさんが一生懸命改良して下さっています。もうそろそろ落ち着く予定です。重ね重ね、有り難うございます。

  普段、掲示板では、なかなか返事を書けなくています。書き込んで下さる方、またこのサイトを楽しみにして下さる方に、心から感謝しています。掲示板に何かを書き込む事って、とっても勇気のいる事だと思います。今日は、その返事を書かせて頂こうと思います。つたない返事ですが、僕も真心でもって書かせて頂きます。


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はなちゃんへ

  はなちゃんが勇気を出して呑気放亭ライブに行こうと決めてくれたあの日から、もうそろそろ一年が経とうとしているね。今年は本当にたくさんのライブに駆けつけてくれて有難う。心から思います。はなちゃんの思い出と僕の思い出は、きっと同じものがたくさんあるね。これからまたたくさんの新しい日を迎える訳だから、また新しい今までとは違った思い出を一緒に残せるよう、僕は努力するね。

やまぐちしょう より

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みちさんへ

  有り難う。あの時、それは波乱の掲示板と格闘する最中、「よ〜し、今日もいかがわしい書き込みをモリモリ消すぞ」と意気込んだ時に、みちさんからの書き込みを見つけて、不意に感動し、不意にポカーンとしてみちさんの書き込みを何度も読み返していました。心にジンジン沁みて、頑張ろうって明日に向かわせてくれたのはみちさんの書き込みです。本当に有り難う。

やまぐちしょう より

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愛子ちゃんへ

  もう二十歳になったの!おめでとう!岐阜駅のラジオ収録で会った時は制服を着てたもんね。早いなぁ。初めて岐阜のキャンペーンでラジオに出て、故郷で一番最初に握手をしたのが愛子ちゃんやったよ。これは僕にとって強烈な印象なんだよ。あの収録後、控え室で「お菓子食べなよ」って言ったら愛子ちゃんが随分困った顔したのを覚えているよ。今から思えば、年頃の女の子に失礼やったかもなぁと思うんだけど、あの時は時間に追われていただけに、少しでもゆっくり話したかったんだよ。
  何はともあれ、二十歳。遊ぶ事も、寝る事も、鼻歌唄う事も全部、夢中に楽しんでね。何をやっても無駄にならないから、何でも夢中に楽しんでね。本当におめでとう。頑張れよ。
  ちなみに、僕も風呂では必ず唄います。布団に入って電気を消してからも唄う事があります。これは小さい頃からの癖になっているよ。

やまぐちしょう より

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まるちーさんへ

  書き込み有り難う。不適切さなんて全くないよ、適切な質問を有り難う。
  『ツブヤキ工場の人々』はホームページのリニューアルと共に閉じられた企画だったんです。が、あの読み物自体は僕は大好きで、時間が作れたらまたコツコツ書きたいなぁと思っているんですよ。あそこに出て来る人達の人間臭さを考えている時間はとても楽しかったんです。今は来年の新しい企画に精魂を傾けているので、ちょっと『ツブヤキ工場の人々』のその後の生活を御紹介する事は困難です。ご愛読頂いていたのに、ごめんなさい。
  でも、以前掲載した『ツブヤキ工場の人々』に関しては、今月発行のメールマガジン『山口晶メールマガズィン【SHOW TIMES】師走号』の方に載せようと思います。こちらで第一話【丸く、落ち着く】を読んで頂けるようにしようと思いますので、是非、そちらの方でお楽しみ下さると有り難いです。どうぞヨロシク。

やまぐちしょう より

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gaomaruへ

  天性の野人と尊称されていたgaomaruが風邪をひく。天才、秀才に先駆けて、馬鹿も風邪をひく御時世になったそうだから用心が必要よ。もう風邪は治ったかな?俺の場合は馬鹿だけど全くの健康体だから心配なしこ。俺の事を「しょったま」と呼ぶ人間も今やgaomaruとうちの親父くらいになったな。一つ思いついた。流行の風邪には乗らない主義でいこう。俺達には俺達の風邪をひくべき時がある。三国志で孫権は地の利を得て、劉備は人の和を得、曹操は何を得たか?天の時やった。坂本龍馬が尊王攘夷の流行に乗らず、ちゃくちゃくと何を待っていたか?時勢やった。天の時・時勢を得た奴が矢っ張り強い。俺達もそう、誰もが風邪をひきそうな時は全く健康でいて走り回り、人が元気な時にヒーヒー大きな風邪をひいて寝込むようにしよう。そうすれば何ができると言って、何もできないだろうけど…。でも、北京のあの同じ釜の飯を喰った者同志よ、俺達独自の時間、時代、時運で生きたいな。風邪であろうと仕事であろうと大喧嘩であろうとも、クシャミ・放屁に至るまで、我は天の時・時勢と共に為してゆかん!なんちて最近は思うよ。

やまぐちしょう より

日本の音 2006/12/09
 今日、久しぶりに区立図書館にCDを借りに行きました。図書館に着くと当然本やCD、新聞などがふんだんに置いてある訳で、それをタダで借りられると思うと、何と言うか、貧乏性とでも言いましょうか、嬉しくてあれもこれもと借りたくなります。今日の目的は、ラジオで使えそうな効果音を集めたCDを探しに行ったのですが、そんな理由で色んな欲求にふと目移りしてしまいます。一度に借りられる枚数が5枚と決まっているので、そうあれもこれもという訳にいかないのですが、Tom Waitsの聞いた事のないCDを借りたいなと思ったり、柳家小三治(この方の落語が本当に面白いんです。オススメよ)の落語CDを借りたくなったりします。でも、そこはグッと我慢しました。昔の特撮ヒーローものの主題歌CDなんかも借りたかったなぁ…。

  まぁ、色んな雑念はしまっておいて、効果音探しをしました。面白かったのが、英語やドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、中国語などで男女の会話を集めたというCDで、何に使うか考えもせず、これは借りる事にしました。面白いCDで、女性に問いつめられて男が言い訳をするという変なシチュエーションなどをその何カ国語で収録しているんですね。フランス語バージョンなどを聞くと、どんなに修羅場のシチュエーション会話でも、僕には愛を語らっているようにしか聞こえてきませんでした。これは、僕がフランス映画から受けた勝手なフランス語のイメージなのか、それとも声優をやっている人のニュアンス不足なのか、いずれにせよフランス語とはつくづく不思議な響きを持っていますね。俗にいわれる「世界で一番美しい言語」と僕は思わないのですが、フランス語は確かに上品だなとは思います。富みにそれを痛感するのが、K-1選手のジェロム・レ・バンナ(フランス人)です。彼が筋骨隆々と暴れ回り、血しぶきを上げて相手を殴り倒す姿を見て僕は「あぁ、なんてジェロムれた奴だろう」と感心します。彼がインタビューなどに答える時、彼がフランス語で話しているその言語だけを聞いていると「あぁ、上品だなぁ、愛の詩を詠んでいるかのようだ」と思うのですが、ふと日本語訳を見てみると「リングに上がるなり、クソ生意気なクソ坊主を血の海に沈めて二度と口の聞けないようにしてやる」とか、口汚く相手に罵声を浴びせているんですね。あんな、ジェロムれた暴れん坊の罵声をも、愛の詩と錯覚させるのですから、フランス語の響きだけは上品ですね。

  あと面白かったのが、日本の伝統的な美しい音を集めましたというCDです。江戸風鈴や南部風鈴、大鐘や囃子太鼓の音が収録されています。でも、どれも地味で、例えば大鐘が「ゴーン」となったら30秒くらい間が開いて、また「ゴーン」と鳴り、それが延々6分も続くといった具合です。「2分で充分」と思うようなものばかりでした。ただ音は解説に載っている通り、有名なお寺の大鐘など実物からしっかり録音しているようで、美しい音なのですが、何しろ地味で長い。
  そのCDの中に、「水琴窟」というのがありました。再生すると小さな、本当に小さな水が流れている音がして、それがまた延々と続いているんです。すると、時折「コロン」と水の流れる音に消されてしまうような音で水琴窟が鳴ります。そしてこれも延々6分以上同じ状態が続くのです。つまりこれは誇張せずに実際の音を自然のまま聞けるよう真面目に録音されたもので、きっと一部のマニアにはたまらない一品なんだろうなと思いました。音を聞いただけで「あぁ、これは何々県の何々寺の大鐘の音だ」とヨダレを垂らす人の為にあるCDなんでしょうね。
  借りて来たけど、使い道はないかなぁと思っていたのですが、その水琴窟の音をヘッドフォーンでよ〜く聞いていると、地味な中に意外な抑揚を発見します。しっかりと自然の音が録音されているだけに、その不規則な水琴窟のリズムが次第に音楽に聞こえて来て、心が安まる気がします。
  僕は慕夜記など書き物をする時のBGMを探していました。何か思考を邪魔しないBGMが欲しいなと思っていたのです。唄の入った音楽は、その歌詞や声を聞いてしまうので、書き物の時は思考を邪魔してしまいます。かといって、クラシックや映画のサントラなども、曲の流れがあり、情緒や興奮があるため、どうしても気を引っ張られるので駄目なんです。でもこの水琴窟の音は淡々としている中に、ふと涼やかな水琴窟の音色が聞こえる程度で思考の邪魔をせずに集中力を深めてくれます。BGMにもってこいなんですね。
  今もヘッドフォーンで水琴窟の音を聞きながらこの文章を書いているのですが、まるで日本庭園の中の庵で風雅に机に向かっている気分でとってもいいです。日本の音って、こんな効果があるものなんだと再確認しました。

イトコハン 2006/12/08
Big Mouthから帰って来ました。只今、6時45分。スッカリ眠いです。昨夜も何だかんだ作業をして朝方にやっと眠りについた気がします。

今夜のBig Mouthでは、何と言っても、甥っ子(本当はイトコハンって言うらしいです)のユウスケに会えたのが、予想以上に嬉しかったな。四年振りくらいでしょうか、小学生のガキンチョだったユウスケは今、中学二年になって精悍さを付けてきたし、目の奥にきかん気の強さを感じて頼もしく思えた。僕はクドクドとユウスケに抗弁をたれていたのですが、僕自身がクドクド抗弁をぶたれるのが嫌いなのに、何で叔父という肩書きに舞い上がってやってしまうかなと思います。少し反省をふまえ、今日は改めて自分が叔父である事を祝した夜でした。
  矢っ張りユウスケは白いです。肌も白いですが、僕が白いなと思ったのは、目や口元、笑い方、雰囲気、可能性などをひっくるめたようなものです。大人と違ってユウスケの若い視線は素直にまっすぐ向かっています。大人はこの白さに随分戸惑います。成長って何だろうって思いますね。一生懸命色んなものを見聞きして成長し大人になったのに、無垢な眼差しには滅法気恥ずかしくてヘナヘナしてしまう。不思議だな。

僕は今夜のステージで「叔父さんの生き様を見とけ」と何回か言い切ったので、責任重大に感じています。叔父として、立派な生き様を作ろう。そう痛感しています。

俺の甥っ子(本当はイトコハンって言うらしいです)は本当にいい男に成長しています。

礼儀正しさライセンス 2006/12/07
明日はBig Mouthでライブ。唄の先に会える顔を想像すると、とっても久しぶりな気がして楽しみなんス。

  今日は一日、家での作業が続きました。まぁ、椅子に座ってパソコンとニラメっこするのです。そうなんです、僕はやっと動き出した音楽ソフトの使い方を覚えながら、その一方でそれを駆使して作業を進めるという荒技に挑戦しているんです。こういった機械というのは、なかなか膝を折って初心者の視線におりて来てくれないもので、高いところからカタカナの専門用語ばかり使って話しかけてくれんですよね。揚げ句の果てには英語の取り扱い説明書ときて、出るのは溜め息と鼻水ばかりでした。
  苦悶を続けていると、僕という行儀の悪い人間はあっちに足掛け、こっちにもたれと姿勢がグッダグダに悪くなる。悪くなれば肩、腰がギシギシ錆び付いて痛みを共なってきます。
「これを一遍にやろうとしたら身体が専門用語に壊されてしまうな」
と思い、疲れの気分転換に買い物に出ました。

  何を買わなきゃいけないか考えながら歩いてコンビニに着きました。別にコンビニで買い物をしようと思った訳じゃなくて、携帯灰皿に溜まったゴミを捨てようと思っただけです。ゴミ箱に用事があったんですね、この場合。で、コンコンと中身を出していると携帯灰皿が壊れてしまい、買わなきゃいけないものができました。やったね。
  そこで、あっちこっち街の中の、携帯灰皿を売ってそうな店を回ったのですが、僕のほしいものはありませんでした。あっと言う間に買わなきゃいけないものを、また見失いました。
  じゃあ、お菓子でも買って帰ろうという事になり、ディスカウントショップへ行きました。この店は久しぶりの店、久しぶりのオジさんがレジに立ち、一人で店番をしていました。相変わらずの値段と、相変わらずの品揃えが、変転極まりないこの街にあっては気持ちを和ませてくれます。
  僕はここで大好物の『ばかうけ 青のりしょうゆ味』を買いました。これを食べながら作業の続きをすれば、どんな高飛車なカンピューラーにも心安らかに対処できるだろうという訳です。あとは二三個の食料を足し、レジのオジさんのところへ持って行きました。
「お願いします」
と僕が言うと、
「はい、すいません」
とオジさんはレジを打ち始め、
「すいません、○百○十円になります」
と言う。
「はいじゃあ」
と僕がお金を出すと、
「はい、すいません…、○十円のお返しですね」
「はい、どうも」
「すいません、レシートは要りますか?」
「あ、いえ、結構です」
「あ、どうもすみません」
何とも謝るのが好きなオジさんだ。でも卑屈さは全くなくて、至極爽やかに謝って頂きました。
  礼儀正しさライセンスの基準は、人によってバラバラですね。このオジさんのような礼儀を持つ人もいれば、(知る人ぞ知る)“やる気ローソン”のように、居酒屋にある「はい、よろこんで!」系の応対をするローソンの店員さんもいて、客としては大変買い物の爽快感が有る。逆に僕の近所のコンビニの女の子などは突っぱねるような接客用語を使い、効率的に動こうとするあまり客の目線を気にできてない雰囲気が、僕に結構不快感を与えるのです。でもきっと、彼女の中では礼儀正しさライセンスA級なんだろうなと思うんですよ。僕も自分のライセンスで人には礼儀正しくいるつもりですが、思い出してみると結構「不遜な奴だ」「無礼な奴だ」との評価を受ける事が多かったですね。僕のライセンスではこのお店では雇ってもらえないんだろうなと思いながら店を出ようとしました。僕が、
「どうも、有り難うございました」
というと、オジさんは、
「すみません、こちらこそ」
と言いました。

  ふ〜ぅむ、善良な人にこうも無駄に謝られると、凡庸で穏やかが取り柄の僕が何だかイジメっ子に見られてる気がして、最終的にはちょっぴり不快になったなぁ…。

僕が僕へ、リバース 2006/12/06
夜の静けさに帰って来ると、シーンと心が洗われてくるのを感じる。
一切の言葉を話さなくなり、考え事やギターを弾く為だけに鼓動を続けているような状態。
時間の流れが、ジワジワと自分のリズムに戻って来ると、
何を唄っても、僕は最高の役者になり、また詩人になれる。
『ポ〜ケットの中にはビスケットがたくさんっ、
だから、叩かなくても君にあげる分があるんだよ〜。』
フクロウも脱帽の歌唱力をもつようになる。
夜の妖精もウットリ、僕に色気を見せ始める頃、
僕は一転してセロ弾きのゴーシュになり、
猫もネズミも騒音にひっくり返っってしまうような、
毒の唄で今日一日の最後の唄をやる。
その自分の出した毒気にあたって、僕はスッカリ眠る、
という、矢っ張り、僕にはこの誰にも邪魔されない時間が必要だ。
一日分の妄想を余す事なく部屋に放り投げ、
僕はその中に浸かっているだけの、
天衣無縫を絵に描いたような時間。

今、ふとインドで見た観覧車を思い出している。
全然大きくないし、随分キャシャな骨組みでできているくせに、
「いつ乗る間があるんだ?」
っていうくらいに回転する速度が速かった。
ほんと、怒ったバアサンみたいな観覧車だったなぁ。
ギャンギャン、ギャンギャン、回っていたけれど、
その怒ったバアサンみたいな観覧車に乗って、
ひょいひょい回転している子供達は物凄く可愛らしい笑顔を作っていた。
遊園地っていいよなぁ。

いつか観覧車でLIVEをしてみたい。
お客さんは観覧車に乗って、グル〜ッと回っている。
僕は観覧車の頂点に特設したステージの上で唄を唄う。
1曲終わるごとに観覧車が回る。
僕の目の前に回ってきた人の為だけに、
僕は空中ステージで唄を熱唱する。
何て楽しい企画だろう。
そんなバイトがあったら、フリーターに伝説の仕事として語り継がれるだろうなぁ。
あぁ、僕がフリーターやニートの心配をする必要はないのか…。
あんな若者達にも見放されたようなあの街で生きてきたんだもの、
…そうだ、僕はあの河岸に立っていた。誰を待っていたんだろう…。
こうして僕はひどく自分の毒気に酔って、支離滅裂に楽しさを枕の下に飾る。

こんな時間帯の僕を見たら、百年どころか一切の恋も醒めてしまうことだろう。



『夢』や『将来』、『愛情』や『幸福』を敢えて探すのは何故ですか?きっと疑っているからです。 2006/12/05
 話は花の都、大江戸六本木。ウン百と人を背負った重たい電車が地下深い六本木駅に着き、またウン百ウン千という人並みが地上と地下を右往左往しているんです。僕はそこの中にいます。
  夏の庭に落ちたスイカに働く蟻を見て、僕等が「ほぅ、よう働いておるなぁ」と思うように、こんな僕等人間を見下ろして「ほぅ、よう働いておるなぁ」と感心している存在がきっとある事でしょう。それはそれで、誠に有り難い話だ。このウン百ウン千という六本木を行き交う人並みにも興味津々で見つめている存在がある。その人間を見下ろしている存在を、仮に“万太夫様”と名付けましょう。

(この“万太夫様”という存在を神様というと僕は思いますが、神様なんて名打つと人間をチッポケにし過ぎるから駄目だね。神様が万能で人間より偉いとしたのは人間であって神様ではない。当の神様の方では「救えと言われて救えるもんぢゃない。また、居るのか居ないのかと問われれば『居るには居る』と答えるけれど、私はここでこうしてボーっと見ているだけだとしか言いようがないぞ」と思っているだろうと僕は思うんです)

  さて前置きはそれくらいのもので特に深い意味を持ちません。要は、その“万太夫様”。スッカリ怠け者で、鼻の穴をホジってはアクビをぶっておられる。身体も大黒天さんか布袋さんかのようにデップリとしていて動くのも随分億劫なご様子。日がな一日寝っ転がって、人間の営みを見ては鼻をほじり、人間が「どうか僕を僕らしくする強さをくれ」とか願っても「フムフム」と微笑みながら見ている無能の存在。よくもまぁ飽きないものだと思いますが、これが“万太夫様”の人智が及ばぬところなのです。飽きもせず、また誰を嫌う事もなく、毎日毎日、人間に感心して視線を地上に落とし続けているのです。
  どんなに徳を積んだ宗教の開祖にも、一個の人間として「あぁ、生きて死んだがよい」と言い、
  どんなに悪を積んで罪を罪とも思わない犯罪者にも、一個の人間として「あぁ、生きて死んだがよい」と同じように言います。

“万太夫様”の言うところ、
「人は各々、自分の裁量で生きて死ぬ。例えば誰かが私に『どうしたら悲しみや苦しさも力に変えて、楽しい明日を想像できるようになりますか?』と聞いたとします。しかし、私が『こういう風に考えてはどうか』と幾ら思ってみたところで、結局人間として生きた事のない私の意見などはものの役にも立たないのです。私の知っている事はただ『生まれて、生きて、死ぬ』という事です。それは立派な仕事ではありませんか。本来、この三つができるだけで充分、それ以上何かをする必要はないんです。ただ、そんな事実に人はやたら意味を求めようとする。ただ『生まれて、生きて、死ぬ』という事実に『生きる意義がなくては駄目だ』『夢を信じたい』と言う。私はね、『生まれる』だけで立派な仕事だと思うし、『生きる』のも立派な仕事、『死ぬ』事もまた然り。人間として地上に立った以上、大変な仕事をやっていると思っています。『夢』や『将来』、『愛情』や『幸福』などというものは生まれた時点でもう身に付いています。それを敢えて引っ張りだし確かめようとした時点で『不安』『不満』に変えてしまい、またそれを“今”と錯覚してしまうようです。『夢』や『将来』、『愛情』や『幸福』、これらは考えなければずっと身に付いています。兎に角考えない事です。『夢』や『将来』、『愛情』や『幸福』はもう既にみなさんに有るもので、敢えて探すものでも、見つけるものでも、かなえるものでもないのです。蟻は庭に落ちたスイカにせっせと働くうちに、知らず知らず冬の食料を蓄えるでしょう。また、森の木は風雨に堪えることのみに専念するうちに、知らず知らず年輪を重ねた巨木になるのです。これと人間も変わらないでしょう。たまたま“今”近くに居る人と共に歩み、たまたま“今”目の前にあるものをやってみるだけです。それに専念してみてはいかがでしょうか?もう『生まれた』以上は、『死ぬ』まで『生きる』ことに専念したらいいですよ。私の仕事はただ、みんな立派だなぁと感心する事です。私は今、あなたを見て、心底立派だなぁと感心しているのです。あなたはもうそれだけで立派です。何も望まなくていい。本当に頑張って生きている。それが本当に嬉しい。大変だろうけれど、よく頑張っている。それを自分で疑っちゃいけません。私は心底あなたに感心しています」

『夢』は生まれた時点でかなっている。それは『生きている』以上は足の止めようがないからだ。

  僕はまだ六本木の地下にいます。長いエスカレーターに乗って地上へ向かっていると、目の前のオバサンがしきりに首を振って呆れています。オバサンは「こんな深い地下に電車が通っているんだ」と感じている事がよく判りました。オバサンはやっと改札に着くと、
「あぁ、迷子、迷子。あぁ、迷子…」
と突然狼狽し始めました。僕が、
「どちらに行かれるんですか?」
と訪ねると、
「それがねぇ…」
と言いかけて、
「あぁ!いた!」
と改札の向こうにもう一人のオバサンが手を振って出迎えているのに気付きました。
「有り難うねぇ」
と言って、オバサンはもう一人のオバサンの方へ歩いて行きました。
ぼうっと僕は見送るのです。そして“万太夫様”の視点で自分を見下ろします。
「道に迷っても、歩く事に専念すれば、どこかには着く。そして、そこで必ず誰かに会う。着いた場所が本当の『夢』になり、会った人が本当の『愛情』になる。兎に角考えず歩く事だ。歩いただけ何かにぶつかり、ぶつかっただけのヒントと成果が必ず返ってくる。もう僕の身体には『夢』が宿り、『愛情』が宿り、『幸福』が宿る。敢えて探し求めれば『不安』や『不満』というつまらないものに変えてしまうだけだ」

イケメンと排便の間には…俺のサイト?!の巻 2006/12/04
こんばんは、今日も帰り道で100円を拾った山口です。お元気ですか?僕は元気で今夜も慕夜記です。

  このホームページの裏には“アクセスログ”というものがあって、一体この山口晶のサイトに「日々どれくらいの人が見に来ているのか?」とか「どのページからリンクで来たのか?」とか解析できるようになっているんです。普段、僕はこの解析を見る事はないですが、たまに見ると面白い結果が待ち受けていたりします。

  解析の種類の一つに、このサイトに検索ページを使って遊びに来た人が一体どういうキーワードを使って検索して、ここに来たのか判るものがあります。googleなりyahooなどで僕のサイトを探す為(或いは他の情報を探すためもあるでしょう)使ったキーワードがランキングされるのです。まぁ、栄えある第1位は、ドゥルドゥルドゥル…ドン!勿論『山口晶』というキーワードです。(もし自分の名前が1位じゃなかったら、ここは『山口晶オフィシャルサイト』の名前を変えなくちゃいけなくなりますよね)他に上位につけたキーワードは『山口 晶(姓名の間にスペースが入ったバージョン)』や『山口昌』などです。

  この検索キーワード・ランキングには順当なものが多いですが、結構「何故、そのキーワードで俺のサイトが検索されたんや?」というものもあります。一番僕が気になったのが『イケメン 排便』というキーワードでこの僕のサイトが検索されている事でした。まずもって、このキーワードで検索していた方は恐らく僕のサイトに来る事が目的じゃなかったろうなと思うのですが、一体何を探していたんだろう?と思うと淫媚でゾクゾクしますね。

しかしながら、

「ここはそんな風紀の乱れたサイトじゃないよぅ。誰だ『排便』だの『イケメン』という言葉をこのサイトに書いた不届きな奴は?」
と思って確かめる事にしました。まず、実際検索されるのかどうかgoogleで『イケメン 排便』と打って探してみる事にしました。
  ヒットしたサイトは11,500件。まぁ…、ここでは赤面して、とてもとても書けないような種のサイトがホイホイ並んでいるんですね。『イケメン 排便』というキーワードにこれほど情報を提供している世の中があるんだって事を思い知らされる量ですね。さて、本当に『山口晶オフィシャルサイト』が『イケメン』と『排便』の情報提供者になっているのかっ!?

続きは、CMの後で。

果たして、本当に『山口晶オフィシャルサイト』が『イケメン』と『排便』の情報提供者になっているのかっ!?っと言う間もなく、このサイトがありました。しかも、それはこの慕夜記が提供している『イケメン』と『排便』だったのですね。
「まさか、俺そんな事を書いた覚えがないよ」と狼狽し、探してみたら…、
2006年9月6日の『久し振りの書き込みだな。』に『排便』の文字が踊り、2006年3月22日の『モンゴロイド同士、仲良くやりましょうぜ。』に『イケメン』の文字がフン反り返っていました。二つとも決していかがわしい表現で使ってある訳ではないのですが、『イケメン』と『排便』の二つを敢えて抽出されると、何とも度し難い感じですね。いやはや。

  これからも、使う言葉には細心の注意を払って適当な事を書いていこうと思いました。
(今回の慕夜記で、また『イケメン 排便』の情報者として名乗りを上げた事になってしまうなぁ)

月形弥次郎のこと 2006/12/03
 みなさんの中で、月形弥次郎という戦国武将の名を知る人は恐らくいないでしょう。月形弥次郎に関しての資料は非常に少なく、1672年に書かれた『難波戦記』という軍記物に僅かな足跡が残る程度です。
  弥次郎という人は、信濃の生まれで領主真田家に仕官していました。武勇の誉れが高かったようで、その気魂はたくましく、戦場にあっては常に陣頭に仁王立ち、敵を一喝すれば敵兵はおろか、木曽の霊峰ことごとくを震わしたそうです。勿論生没は不明です。ただ、弥次郎は一男を授かっていて、月形父子は一対として語られる事が多いようです。その子の名は彦次郎。真田軍のあるところ、必ず月形弥次郎・彦次郎父子があり、鷹の翼のように父子波状となって敵陣を駆け回ったそうです。月形父子については、1615年大阪夏の陣で真田軍に従軍したのを最後に、その名を歴史から一切消します。この戦いで、わずか3500人程度の真田軍は、5万を越す徳川軍に猛烈な突撃を浴びせ、徳川軍の本陣、家康の目前にまで迫っています。ですが、数に及ばず、やがて敗北。この凄惨な突撃の折、真田幸村と共に弥次郎・彦次郎父子はそろって命を天に返したものと考えられています。

  さて、話はその大阪夏の陣。弥次郎と彦次郎は、斜陽を迎えた豊臣軍中にありました。真田軍の赤備えとして出陣し、父子はその末期を迎えようとしています。
  茶臼山に布陣した父子は、眼下に波打つ徳川軍の海を眺めながら別れの水杯を交わしました。
「この徳川五万の大海原を、真田三千の船が漕ぎ出す訳ですな。今まで柔を以って幾多の剛を制してきましたが、父上。この戦ではついには生きて相見えることはないかもしれませぬな」
  さすがの彦次郎も顔をしたたかに硬直させていました。武士といえど父を想う気持ちを即座に踏ん切りつける事は難しいものです。彦次郎の握る水杯は力が入り過ぎて奮えている。
「おっと、いけませんな。大戦は何度も経験しきた筈なのに、この始末では。父上の名に恥じるようなものです。武者震いと思って見逃して下され。」
死闘を直前に、緊張のあまり水杯を口元からこぼしてしまう息子の彦次郎を見て、弥次郎は多いに励ましながら言ったそうです。
「人間というもの、いくら腹中に焼け栗を飲んだとて、生まれ持った胆の太さは生涯変わらない。勇猛の誉れ高い武将がこの戦国の世に幾多と功名を上げたが、その内は小心な者が多かった。大きな勇を奮うには、小心という燃料がどうしても必要なのだ。俺は長篠の戦で初陣を迎えた。味方は織田軍の鉄砲隊の前に次々に倒れ、俺も何度か突撃を試みたが、地鳴りする鉄砲の音に足がすくみ、人の後ろばかりを走って、とうとう敵と槍先を交えずに戦は終わってしまった。この臆病風に吹かれると、乱軍の中で味方の死体を踏んで逃げる感触や、己の虫のような悲鳴が、いちいち忘れられなかった。そして深く傷ついた。敗走する真田軍三百の中で俺は泣きながら夜陰を走っていた。すると、突然正面に北条軍四万が姿を現し、またたく間にまた戦が始まった。今度こそ逃げ場がない、俺は槍を構え「やぁ」と声を上げ、四万の敵に突入した。その後、戦が終わるまで俺は全く気を失って走っていた。気が付くと泥まみれになって地面に槍を突き刺し、その槍先に敵将が突き通されていた。不覚にも股間が小便に漏れ、固く握った指は暫く槍を放す事ができなかった。その敵将の首が大層な勲功に上げられ、後の勇名につながったが、俺としてはどうでもよかった。ただ小心の極み、血と泥と小便の臭いが、俺に居場所を自覚させ、戦場から戦場へと夢中にさせたとしか言いようがない。人が小心という燃料を燃やし、気を失っている間、どうやら夢中という清らかな世界にいるようだ。そこに生きる場があって、気を失いながら不乱に生き抜く。その清らかな世界の充実に比べたら、結果などは白湯のようなものだ。息子よ、生涯と言えども結局そんなものだ、何かを得るようだが何も手に入れない、夢中のまま終わる。俺達はこの戦、ただ、夢中のままに終わらせる事に専念すればよい。生きてまた会えるかなど、白湯ぞ、白湯」
この後、月形父子は乱軍に駆け入り、命を夢中のまま散らしていったと思われます。
こんな月形弥次郎という戦国武将の名を知る人は恐らくいないでしょうね。

一人暮らしのエキスパート 2006/12/02
 僕は18歳で家を出てから、オンボロな一人暮らしを続けています。続けてはいますが如何せんオンボロで、思い込みも多分にあったから、歴史が長い割には見落としが多いんです。
  まぁ、スーパーに行っても要領は大変悪くて、色んな品物を見ていても、一向に必要なものと特価のものが見えてこないんですね。もう少しポリシーを持って生活していれば良かったなぁと何度も痛感します。あっちへフラフラ、こっちでオロオロで、結局ヘロヘロ。そんな事を重ねているうちにスーパーに行く事が至極億劫な人間を形成してしまいます。

  先日、僕は今月から一人暮らしデビューするという男の子と『トイレットペーパーはシングルがいいかダブルがいいか』について話をしていました。

  僕は一人暮らしの先輩、言わばエキスパートとして、断然ダブル派であると主張しました。僕は恥ずかしい自分のケチ根性を顧みず、こう主張していました。
「何故、シングルを買う人がいるのか不思議でならない。同じ値段なのにダブルは二枚重ねになっている。シングルがダブルの半分の値段だったら買うだろうけど、同じ値段だったらシングルを買っちゃ損ぢゃないか。どうせ同じ値段を払うなら紙が多い方がいい」
  彼は、最初、僕が言っている意味が理解できないようでした。そして、不思議そうに僕に言いました。
「ダブルは二重になっている分、長さがシングルの半分になっているんですよ?」
「ふ……ん、だから…、……えぇ!そうなの!?」
「だから、シングルの方がなかなか無くならないんですよ」
「えぇ…!そしたらそっちの方が全然いいやん」
僕はその「シングルは一枚だけどその分長さがダブルより倍長い、で結局使われている紙の量はダブルもシングルも変わらない」という事実を、全く知りませんでした。
  重複になりますが、彼は今月から一人暮らしデビュー。僕は十何年も彼に先んじて一人暮らしをしています。彼に一人暮らしについての相談を受け、アドバイスを大層に語っていました。それだけに、ショックも深かったです。

  説得力もどこへやら、驕れる者は久しからず、それはもうアッと言う間もなく瓦解。

  あぁ、やんぬるかな、この世間知らず。最初は、こんな些細なトイレットペーパーの不思議を結構知らずに過ごしている人は多かろうと思っていたんですが、何せ一人暮らし新人にこうもキッパリご教授頂いたからには、僕の思い込みは希有な部類だと考えざるを得ません。

  そうなんだぁ…、僕は減りの速いトイレットペーパーをこまめに買ってきては、
「あぁお得だ」と得意気にセットしていたんだぁ…。
資源の浪費であった。
エコ上手ではなかった。
ああ、ぎおんしゃうぢゃのかねのこえ、が鳴る。
その音はまぎれもなく
「がーーん」

というか、何でそんな細かい事知っていたんだ一人暮らし新人!
というか、何でそんな事も知らんのかオンボロ一人暮らし人!

俺達の“SUSIE” 2006/12/01
 俺達の“SUSIE”は20代前半。いつもパステルカラーの淡いスーツを着てやがる。
今日も、パーマをかけた黒々と重苦しい長髪をズシズシなびかせて教室にやって来る。

  俺もヨシオもクラスの中で眉毛の濃さでは首席を争っているのに、“SUSIE”の眉毛には敵わない。太く丸い眉毛をピクリとも動かさず平静に授業を進めるのが“SUSIE”の特徴だ。クラスに無駄な気を遣わず、冗談を一つも言った事がない。

  俺達の“SUSIE”は今日も抑揚なく退屈な英語の授業をやらかす。
ちっとも面白くなくて、クラスメイトは半眼の境地でうつらうつらしてやがる。
  だけど、俺とヨシオだけは退屈しない。スカートの下からたくましく生えている“SUSIE”のスネに見惚れているという訳なのだ。

  “SUSIE”の声は野太いけど音量が低い。そして口調は決まって体現止め、
「〜は、こうなる」「〜は、〜でない」「〜を勘違いしては駄目」などと、まったく親近感を与えないように説明するのが可笑しくて堪らない。俺とヨシオがクスクス笑っていると、それに気付いた“SUSIE”は重たい眉毛を少し傾げて、眉毛だけで照れ笑いをする。そして一言「笑うところではない」とだけ言って、いつもの抑揚のない授業に戻る訳なのだ。

“SUSIE”の授業は淡々と退屈に続く、“SUSIE”もみんなもクスッとも笑わない。特別騒ぐ理由もなく“SUSIE”の授業はいつも水を打ったようにシーンとしている。
  ただ或る日、予期せぬ事が起こった。
“SUSIE”は教科書に出てくるスージーという女の子の名前を黒板に書いた。
『SUSIE』
ガシガシ、と書いた後、振り返っていつもの静かな口調で言った。
「これはスシエではない、スージー。…」
「……」
「……」
「クッ、クク…だーっ!」
と、クラスは大爆笑に包まれた。“SUSIE”本人は何が起きたかさっぱり理解できず、太い眉毛を傾げていたが、その日から“SUSIE”は“スシエ”と呼ばれるようになった。“SUSIE”の重たい顔が“スシエ”という名前とあまりにもマッチしてしまったのだ。


  或る日、“スシエ”の授業が始まる直前にクラスの男子二人が大声を上げて喧嘩していた事があった。“スシエ”は教室に入ってその異変に気付くと、重たい眉毛だけで困惑の表情をした。でも“スシエ”はひるまない。ズシズシ二人の男子に割って入り、
「コ、コンドーくん。コンドーくん…」
と優勢なコンドーくんの名前ばかり呼んでいた。“スシエ”は背が低く、コンドーくんは背が高い、“スシエ”はコンドーくんと向き合い、コンドーくんの胸にずっと呼びかけていた。
  俺とヨシオは、この時ばかりは“スシエ”を気の毒に思った。「“スシエ”は強い女だ!」そう言ってやりたかった。でも、そんな俺達の気持ちもお構いなしに喧嘩を鎮めた“スシエ”は眉毛を元に戻し、いつも通り授業前の単語テストをやり始めたのだ。

俺達の“スシエ”は、いっつも授業前に英単語20個分のテストをやりやがる。“スシエ”は作ってきたテストを配り、「はじめ」と言ってから5分間で「やめ」と言う。クラスの男子の大半はこの5分間ではテストプリントに名前以外は何も書き込まない。
  “スシエ”は「はい、これから正解を書く…」と言うと、黒板にスラスラ20問分の正答を書き始める。自分達で採点しろと言うのだ。この“スシエ”が黒板の方を見ている間に、クラスの男子の大半は答案を埋める。だから、この小テストにはやたら100点の優等生が多い。100点じゃないといけない理由があった。
  “スシエ”は黒板にスッカリ正答を書いてカンニングを存分にさせてから、プリントを回収する。「何の為のテスト?」と思うけど、“スシエ”にとっては大真面目なテストなのだ。「背中向けてるから、その間に出来なかった人は写しなさい。その代わり次はちゃんと勉強してくるのよ」なんて慈悲深さは微塵も持ち合わせていない。テストを回収し終えると、今度は前回のテストを返し始める。そして「間違えた単語につき30回ずつノートに書いてくるように」と言うのだ。みんな最初は「まさか、本気じゃないだろう」と思っていた。けれど“スシエ”の方では細かくクラス全員の点数を控えていて、気が付くと単語5000回と莫大に膨れ上がっている奴が出てきた。これが嫌だからみんな100点を取る。まったく、このテストで馬鹿を見るのは、よっぽど要領の悪い奴か、よっぽどの生真面目な奴なのだ。
  俺はこんな無駄なテストのやり方は反対だった。それにコソコソ“スシエ”の背中を盗むのが嫌だった。何たって相手は“スシエ”なのだ、真剣になりようがなかった。単語テストにはいっつも20人分の戦国武将の名前や三国志の武将の名前を書いて自分で勝手に100点にして出してやった。或る日、“スシエ”は俺の答案を返す時、
「もっと真面目にやらなきゃ駄目…」
と言った。俺は何故か腹が立った。「どうせ不真面目なテストぢゃないか!」と思って、教室の後ろにあるゴミ箱まで行き、そのテストをクシャッと丸めて捨てた。
  それを遠目に見ていた“スシエ”はズシズシ凄い勢いで俺の前に来た。
「一生懸命やったテストをどうして捨てるの!」
語調は静かだ。でも、判りづらいが確かに、その眉毛は烈火の如く怒っている。俺は、
「武将の名前が書いてあるだけやん」
と言ったが、“スシエ”は繰り返し続けた。
「一生懸命やったテストをどうして捨てるの!」

  夏休みが明けた気が緩みっ放しの頃、俺達の“スシエ”はクラスに重大な報告をした。
「私は結婚しました」
俺達は祝福の大笑いをした。
「やったやん!」
“スシエ”はクラスで2回目の大爆笑を取った。
俺もヨシオもこれは少し気の毒かもな、と思った。
でも、一段と大きな笑い声で、心から祝福した。
「やったやん!“スシエ”!」

  その日、俺とヨシオは夜遅くまで学校で遊んでいた。「どうせ遅くなったんや」という事で、教職員用の下駄箱に行き“スシエ”を待つ事にした。ほどなくして、俺達の“スシエ”はズシズシ姿を現した。俺達を見つけた時の顔が、見たことないくらい崩れて笑っている。
「ヤマグチくん、ヨシオくん、夜遅くまで何してたの?」
抑揚なく静々言ってる間も、表情がホクホク笑っている。
きっと、“スシエ”という人は先生という仕事に気を張り詰めていただけで、それを解いたら表情の柔らかい女性だったのかもしれない。
でも、当時の俺とヨシオはそこまで推し量れるほど人間が練れていない。ガキンチョだ。
「新婚にノボせてやがる!」と思った。
だから、俺とヨシオはここでからかってやろうと、
「ダンナさんが待ってるから、そんなに嬉しそうなんや?」
とニヤニヤしながら言ってやった。
すると、
ズシズシ
駐車場に歩きかけていた“スシエ”がバサッと振り返った、
「ざ〜んねん、ダンナさんは今、出張中っ」
スシエがのろけた!
俺とヨシオは大爆笑した。
スシエで3回も大爆笑したのは、クラスの中では俺とヨシオだけだ。

大笑いする俺とヨシオを尻目に、“スシエ”は
コツコツ
ハイヒールを鳴らして、夕闇の駐車場に向かって歩いて行った。
その後姿が堪らなく可愛らしくて、
俺とヨシオはいつまでも見送っていた、という話なのだ。

バイオリニズム 2006/11/30
今日は帰りの電車に乗り込むと、スッカリ何も考えなかった。
人がいる、
「ふぅ…ん」
何だか、みんな知り合いで、みんな友達のような気がする。
「今日、お前ん家、泊めてくれよ」
って思わずいいたくなるほど、心が平静で明け透けな帰り道だ。

  つり革にブラ〜っとぶら下がっていると、ドアの足元にバイオリンが立てかけてあった。そいつが電車の揺れでパタンと倒れたのを、僕は反射的に立てかけ直した。人のものという事も忘れて反射的にとった行動だったから、すぐに「持ち主に気まずい思いをさせたかな?」と考えた。「ほっといてくれれば自分で直すのに」なんて思われたかなっと思っていた。すると意外にも混んでる電車の中で誰一人反応していなかった。
「はて…?」
確かに、このバイオリンに愛情を示している雰囲気の人が周囲に感じられない。
僕からすると、ギターって相棒をどうしても愛していて、倒れようものならギターの傷以上に心が傷付く。電車が混んでいれば自分の身を挺してギターを守ろうとする。
けど、この小っちゃなか弱いバイオリンに守る人がいないような気がする。

  僕はそのバイオリン(正しくはケースに入ったバイオリン)を眺めていた。

「お前はひょっとして一人か?」


何駅か過ぎた。僕のふくぶくした相棒とは反対に、小っちゃなバイオリンは体重がなきが如くカサカサ電車に揺られている。

「お前はちゃんと降りれんのかい?」

保護者は現れないどころか、次第に小っちゃなバイオリンから人は離れていき、いよいよこいつは一人ボッチになった。

  これは迷子になって泣きじゃくる子供を目の前にしているような気分だ、
どう声をかけたらいいものか分からない。

「俺の降りる駅で、一緒に降りて、駅員室に行って、お父さんかお母さんを探してもらうかい?」

  そんな事を考えていると、電車が止まり、背後から駅員が入ってきた。彼はまっすぐバイオリンの前に来て、それを抱き上げ、

「これはどなたのですかぁ?これはどなたかのものですか?」

と三、四度聞いて、返答ないのを見たら、バイオリンを連れて駅に戻っていった。


  楽器というものは弾き手とって否が応でも愛情の沸くもので、いわばペットと飼い主の関係よりも近い。友達、同志、よりも同じ血肉を別け合うもとという感覚に近いと思う。同じ気持ちを持って曲を奏で、同じ緊張を持っ舞台に上がり、一心同体になって1センテンスを丁寧に演奏する。失敗も成功も、弱気も興奮も、一番近いタイミングで感じあっている。

反論もあることだろう、

物は物でしかない、心は自分にある。

それもそうだろう。でも、僕は迷子のバイオリンを見て、可哀そうにと思わざるを得ない。よっぽどそそっかしい持ち主だったのか、他事をに気を取られていたのかもしれない。或いは、辛い思いをして重大な決心のもとで置き去りにしたとも考えられる。


ただ、僕はその持ち主に教えてあげたい。
君の相棒は一人ボッチで電車に乗って、随分涙を流していたよ。
って。
楽器って、値が高い安いじゃない。愛情の度合いでどんな楽器でもいい音になる。
忘れちゃいかんよ、初めて一緒に音を出した時のこと。

びーーーーーーーーーーーーーーーん 2006/11/29
さて、今日は陽射しが優しい久し振りの晴れだった。ついつい全てがのん気になりがち。「ぐわっ」とあくびを一つ放って、人通りの中で大きな口を開けるなんて何てはしたない、と自省。

ゴソゴソ頭を掻いて下を向くと、100円を拾った。

「おっ、ラッキ〜」

昨日と今日の二日間で通算101円を拾っている。そろそろ運が向いてきたかな。何しろこんな陽気の下では、のん気な観測ばかりが鼻ちょうちんのように膨らんでは破裂する。よし、よし、何でもありぞ。

な〜んて思って歩いていると、向こうから作業服の男が歩いてきた。
「…?」と思った。あまりに自然で見過ごしそうだったけれど、その男は電気シェーバーでヒゲを剃りながら歩いていた。男の顔は、この陽気の下で虚脱に満ちているし、さほどヒゲもはえてはいないように見えるのだけれど、銀色の電気シェーバーで二重のアゴを丹念に剃り上げていた。
  道を歩きながらヒゲを剃る人は初めて見た。「道を歩く」と「ヒゲを剃る」を合わせた光景は、つまらないほど違和感がない。まぁ、そんなもんかぁと思い直して、その男とすれ違った。
  その時、僕の耳に入った
「ビーーーーン」
という音。これがいかにも違和感だった。
歩く音、携帯電話で話す人、そして
「ビーーーーン」
車のエンジン、店のベル、そして
「ビーーーーン」
犬の息、バイクのマフラー、子供の泣き声、
「ビーーーーン」
どのノイズともマッチングしない陽気な音。

  最近は発見が増えているような気がする。
とは言え、この十日間ほどで僕の身辺に出来事が増えたとは思えない。何の変哲もない日常は日常を維持している。今まで通り、街には色んな事が起き、色んなノイズが鳴っている。
  ただ、変わったのは、僕の耳がその音に友好的になり、また僕の海馬がよくそれを理解し記憶すようになったという事。それが日常に、少し風変わりでお茶目な非日常を足しているように思う。それもこれも、この慕夜記のお陰かもしれないと感じ始めている。

また来年、会いたいねぇ 2006/11/28
今日の帰り道、
交差点の信号が青に変わった時、右の耳が盗み聞きした会話。

「まぁ、また来年会えるかわからないけれど…」
「また来年会えたら会いましょうねぇ」

明るく話すのは五、六人の男女。
キャッキャッと言い合う温かさに、僕はマフラーを取りたいくらいだ。
随分、楽しそうに再会を約し合っている男女、
そして、その男女のお年頃は…?

(見てごらんよ)

はは〜ん!80歳くらいが平均ぢゃないかぁ〜ん。

  最初の「まぁ、また来年会えるかわからないけれど…フォ、フォ、フォッ」という後ろ向きな事を笑いながら言ったのが、黒縁メガネの爺さんだった。
  次の「また来年会えたら会いましょうねぇ!」と励ますように言ったのが、ふくふくした顔に巻き髪の婆さんだった。
  途端に五、六人の老男女は
「ねぇ!そうねぇ、来年会えたら会いましょうねぇ!」
「そう、みなさんとまた会いたいねぇ!」
と活発なリフレインを交わし始めた。

僕の、

僕の、

僕の「また会いたいね」とは違って、重要な約束であるような気がした。こんな簡単な言葉を御老人方が発した時、その言葉の裏側を重大に感じた、俺という若僧。
  そんな若僧がビックリしてる事も、信号が赤に変わろうとしている事にも気付かず、五、六人の老男女は「会いたい」のリフレインをしていた。

僕の耳に繰り返されていたのは、老いた声をした“会い”だった。


  今更だけど、“あい”という言葉の温もりを感じた。“あい”とつく言葉に悪い奴はいない。

「会い」
「合い」
「逢い」
「相」
「藍」
「哀」
そして、
「愛」


きっと御老人方はお食事会か何かの帰りだろう。みんなが元気でいた事、笑えている事、そして「また会えたね」という事を、何ものにも変え難い幸福と称え合っている。

これほど命が続いている事に感謝できるのは、老境を迎えてからなのだろうか?

最近になって、くどいほどに命は、
簡単に捨てられている。
持ち主が、捨てる。
その家族に、勝手に捨てられる。
見知らぬ人に、無理矢理捨てられる。
プライドと書かれた兵器に、木っ端微塵に捨てられる。

聞け、御老人方の切実な喜びを、
悲しみに図に乗ってはいけない、
悲しみを理由に捨てていい命は、この世にはひとつとしてない。
悲しみを理由に奪っていい命も、この世にはひとつとしてない。
山の高さ、河の速さ、海の深さ、時間の流れ、
これらを勝手にいぢくってはいけないように、
命もまた勝手にいぢくってはいけないもの。
悲しいからといって、図に乗ってはいけない。
自然の中の一部として、立派に役目を果たしなさい。

僕の命は、そう言っておるよ。


どんなに優しく看取られても、死出の河はたった一人で渡らなければならない。
愛し合う二人が、たとえ熱烈に抱擁しながら心中したとしても、
矢張り、死出の河はたった一人で渡るべきだろう。
必死に生きて手に入れた、形ある物も全て置いていかなければならない。

生まれた時と同じ、素っ裸にされて、
すっかり暮れかかった、夕陽の河を見る。
歩いてきた道は、すでに夜を向かえ暗い闇の中にかすんでいく。
暗闇に逃げ帰れば、亡霊となって出口のない悲しみを永遠に食べ続けるだろう。

愁色にねじれていく悠久の空へ向かって、河を渡ることにする。
その河を、ゆっくりと渡りながら思い出すんだ、
「来年はとうとう会えなくなったなぁ」
それは友、妻、夫、息子、親、犬、猫、金魚…。

その時は、どうにか熱い涙を流したい、
河の水が、湯と沸き、湯気立つほどに、
たくさんの熱い涙を流したい。

素っ裸になって、持てるものは心だけ、
心に彩られた記憶は、
澄み切った“あい”でありたい。
人に不人情を残したくない。
心底、“あい”した結果を持って逝きたい。

そう、その為に、今の縁に必死に生きる必要があり、
砂を噛んでも、“あい”を離さずに生きよるとしよう。


僕の命は、そう言っておるよ。

あの山を越えれば 2006/11/27
 今日、現在使われている中学生の国語の教科書を見た。結構変わっているんだとうなと思って見たら、懐かしいものが結構残ってて嬉しかった。『走れ、メロス』とか那須与一が矢を射る『扇の的』とか。
  僕は本読みが苦手で、よく「じゃ、その続きを…山口、読んでくれ」と言われる度に、かみまくりで叱られたもんさ。

  今となっては印象に残している教科書の話なんて少なくなってしまった。印象に残しているのは『土産』?だったかな、なんか、お父さんが出張先からいつも“えんび・フリャア(えびフライ)”を土産に買って帰ってきてくれるよ、という話。“えび”なのに食べると“シャコ、シャコ”と音が鳴るよ、という小洒落のきいた話だったような…。
  あとは『ホースの白い馬』、そして他には大島渚の随筆なんかもあったなぁ、題名は確か『あの山(峠?丘?海?)を越えれば』だった気がする。田舎に居る少年が毎日同じ山を眺め、あの山を越えれば都会に出て夢を叶える事が出来るのに…って言ってる話だったような気がする。これ、高校の教科書だったかな?

僕等も岐阜の山に育った田舎者だった。

  この『あの山(峠?丘?海?)を越えれば』の授業の時、先生が「はい、みんなの中でいずれ東京に出て仕事をしたいと思う人、手を挙げて」って言った。

僕は挙げなかった。

理由は簡単、人ゴミが大っ嫌いだから。

で、挙げなかった。

でも、クラスの男子は、ほぼ手を挙げていた。

『あんなとこで暮らすの嫌やぁん』

って思っていたら、先生が当時の僕にはよく理解できない事を言った。(その先生って男勝りのカッコイイ女性だったから、さらっと重要な事を言う人だった)

「男子!アンタ達の年頃で、東京に行って夢を叶えたいという興奮がなかったらダメやよ。現実味がなくたって“行きたい”と思わな。ここにも高い山があるでしょう?東京が隠れて見えへんでしょう?毎日、邪魔やなぁって思っとらな」

僕は当時反対の意思を持ってただけに、このオバサンは何を言っとるんかなぁ?と逆に強烈な印象が残った。そんな事言われたって、ちぃとも東京に興味が沸かなかったし、静かな田舎で山に囲まれた生活をしたいと思っていた。

『俺、この山、好きやけどなぁ…』

学校からの帰り道、自転車で風に流されるまま、阿呆みたいな顔で考えてた。

そして、

  いつしか、時は随分と経ち、僕は時間の渦紋に巻かれて、野心に興奮し、山を越えた。

気付けば、今、東京に暮らしている。

  いつしか、あの先生の言った事がわかるような男になった。そしてまた意味合いを深めて自分なりに考えるようになった。

俺は、あの山を越える!

あの虚空に突き出た高峰が邪魔で仕方がないんだ。

あの山の向こうに、あの日の夢があるという。

俺は毎日、あの山をにらむ、

「お前がいくら俺達を引き離そうとも、

  何度だって越えてやる」

俺は、絶対あの山を越えてみせる!

1m半のステージ 2006/11/26
今、雨の調子を見るためマンションの玄関まで出た。

さっきよりは小雨になり、傘を差す人もまばらなようだ。

煙草に火をつけて、パハァ〜と煙を投げる。

いつもの大通りは車の通りが少なく、いつもより静かだ。


雨は止むかなぁ、と思っていた。

明日は何が起こるんかなぁ、と思っていた。

そんな静かな夜。

この通りは近年で高層マンションに侵食された。

一気呵成に人の住家を増やしていき、それにともなって暮らす人も増えた。

夜とは言え、こんな静かな通りは珍しい。

静かになってみると、この通りで物音がこんなに響くんだと気付かされた。

両サイドのビルに跳ね返り跳ね返りして、夜の深さが心細く感じる。

…と、その響いている物音の中に、高らかな歌声が混じってきた。

20代の男の歌声である事が、声色と曲想で判る。

その歌声は通りに弾みながら、次第に僕のところまで近付いてくる。

僕はマンションの玄関の中側に居るから、彼は僕の存在に気付く由もない。

気付く事もなく僕の方へ向かって来ている。

僕は少し考えた。

「もし、彼がこのマンションの住人だったらば、僕と鉢合わせになり大変気まずい想いを与えるし、僕も多少の気恥ずかしい想いになるだろう…」

でも、煙草もまだ吸いかけだし、人の多いこの大通りで、これほど惜しみなく唄う人がどんな人か見たかった。

僕は1m半ばかりのマンションの間口に現れる、歌い手の姿を待った。

唄はどんどん近付いて、それが愛の唄で、ビジュアル・バンド風の巻き舌で唄われている事も判るほどになった。

そして、とうとう、

息を飲んで1m半を凝視する僕の前に男が颯爽と通り掛った。

彼はイヤフォンをして、音楽を聴きながら唄っていた。

可笑しな事に、彼は僕の存在を察していたのか、

唄いながらも、一応人がいないか確認していたのか、

最初っから僕と眼が合った。

彼は僕と眼が合うと少し驚いたような色を見せた。

そして、僕の視野1m半を過ぎると、

小さめのハミングに唄が変わった。


僕は残りの煙草を吸い、パハァ〜と煙を投げる。

いつもの大通りに唄は響かず、さっきまでの静けさに戻った。


雨は止むかなぁ、と思っていた。

明日は何が起こるんかなぁ、と思っていた。

そんな静かな夜。

二日酔い 2006/11/25
朝が来た。家に帰るまでが遠足、そして眠るまでが今日。

今日は高円寺の仲間とボーリングする事になり、大いに重たい球をボーリングしました。僕自身は今まで、80をそこそこにアベレージとする、下手っぴぃ部類に入るボーラーでしたが、今日は神がかって149と136の高得点を叩き出した次第で、球転がしに自信を得た夜になりました。

終わると久し振りに高円寺へ、そして呑気放亭へ。
ここでしか味わえない大好物のゴーヤチャンプルを頬張り、至極ご満悦。
なんて温かく明るい人達に囲まれている。

どこからかギターが登場したので、
そこで何曲か唄いました。

自作の『呑気放亭』も2回唄いました。

最近僕はこうしてステージから外れた所で唄う事が大好きだ。

作品を作ると、何より嬉しいのは作った曲の居場所があること。

目の前で必要とされ、眼の前で唄う事が、今は一番居場所を感じる。

ギターを持った時、僕は何もしないではいられない。

自分の作った唄の居るべき場所に、自分で唄って置いていく幸せ。

また、唄の居場所とは人が喜んでくれる場所のこと。

僕のような身から出たサビが必要として喜んでもらえるなら、

僕はどこでも唄う。

何度でも唄う。

何時だって唄う。

唄いたい。

兎に角、唄いたくなる。

走れエロス 2006/11/24
家が近いから、妙に走って帰りたくなった。

金曜の夜には、酔っ払いが帰りたくないと道ではしゃいでいる。
けど、僕は走って帰りたくなった。

それは、便意をもよおした緊急事態だからではない。

それは、走って気休めのダイエットをしたいからでもない。

きっと、僕が酔っ払っているからだ。

いさぎよくポケットを空にし、

さりげなく、ポケットに開いた穴から明日を覗いたからだ。

今日一日、僕は呪文のように口ずさんでいた、

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ここ一週間で何度唄ったか知れない。

僕は走るぞ。

それは、昔のような行き先のわからない不安さからではない。
あくまで行き先のはっきりした駆け出し。

家に飛び込んで、息せき切ってギターを取り、
そしてまた唄う。

You're the reason I'm trav'lin' on
Don't think twice, it's all right

まるで時間を忘れ、

They say ev'ry man needs protection,
They say ev'ry man must fall.
Yet I swear I see my reflection
Some place so high above this wall.
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

唄う。唄う。
気分は、そう。

Strumming my pain with his fingers,
Singing my life with his words,
Killing me softly with his song,
Killing me softly with his song,
Telling my whole life with his words,
Killing me softly with his song ...

いつしか皺くちゃになった布団にギターを放り出し、
酔っ払いは眠る。

Darling Darling stand by me
Oh stand by me
Stand by me, stand by me

二本のカタナ 2006/11/23
江戸時代という日本を無血に近い形で葬った坂本竜馬、その竜馬という人が海援隊士・陸奥陽之介(後の陸奥宗光。明治維新後、外務大臣になり条約改正に尽力。その手腕がカミソリ外交と称えられた人)に言ったとされる言葉がある。
「有能な海援隊士は沢山いるが、両刀を脱しても生きていけるのは、俺と君くらいのもんだろう」
だってさ。これは褒め言葉。
  当時の武士にとって、腰間の両刀は肝であり心である。武士がその職業の象徴として腰に帯びる刀には、生涯があり、権威があり、意地があり、食い扶持があった。これを脱して生きるというのは、気軽な転職マガジンなどない当時の武士にとっては切腹より厳しい事だっただろうな。現代、国境を捨てようと言って、実際捨てる実感が持てないようなものだろうか。
  武士は武士、商人は商人、農民は農民として身分の縛られた時代が終わり、新しく平等な時代を迎えるにあたって、矢張り多くの武士達が頭を切りかえれず、戊辰戦争などでその大切な命を散らしていった訳だ。
  当の竜馬は新しい時代を見る直前に天に返ったが、その竜馬の言った事は当たったと考えていい。

  さて、それを僕に当てはめて考えてみる。竜馬に言ってもらうとしよう、
「オマンサンはギターとノドを失っても、音楽の道に生きていけるカネヤ?」
こいつは難しい。大好きなギターとノドは、僕にとって肝であり心である。僕がその両刀を脱すると、心の両腕を奪われてしまうような気もする。かといって、ギターとのどを失ったくらいで音楽が心から離れるかというと、そうでもない気もする。ギターが好き、唄う事が好き。だけど、その二つの事柄を支え、栄養を与えているのは、音楽が好きっていう基本だろ?…それを忘れがちだ。
  一向に結論に達しない問答だけど、一つの道に固執して『あれをするには、これがなければならない』なんて考えをしてはいけないとは思う。綺麗な服がなくともボロを着る、よしんば服がなくとも死ぬわけではなし、裸で生きればいい。要するに「服がなければ生きていけない」というのが人の生命力の小ささを物語ってしまう。

人間は捨てれないものばかりを集めて安心してしまう。
集めたものは、自分を守ってくれるような気がするけど、
本当は、本心から自分を逃がしてしまうものでもある。

小義にかかずらって大義を忘れるという事だな。自分の武器を持ちたいと、一つや二つの表面的な出来事に欲を出す。でもヒョンなはずみでその武器をなくした時、根っこの本願を見失い、あっと言う間に挫折し、また簡単に絶望してしまう。

生きる事は放棄できない。
地球に必要ない存在になるまでは生きなければいけない。
それを考えると、自ら死ぬなんて格好悪過ぎる。

たくましく生きるには、常に本願を見失わない事だ。
生涯を何かに捧げる時、沢山を失う。
でも、でもだよ。

裸でいれば決して絶望はしない。

好きなままでいられる。だから、あらゆる手段を駆使して、その夢のある方向を向いていようとする。もし、中道に倒れる事があったとしても、夢の方向を向いて倒れたいんだ。

夢から現実への脈絡なし 2006/11/22
今朝は妙な夢を見た。
  保育園からの幼馴染(男)が俺ン家にやって来て、
「俺、結婚する」
というので、
「あぁ、そうせぇ」
と答える。すると幼馴染は、
「俺達は世に顔向けできるような二人じゃないし、隠れて生活をせなあかんから、お前に婚姻届を出してきてほしいんや」
と言う。俺は幼馴染が用意してきた婚姻届とハンコを受け取り、
「どこへ行くんや?」
と聞くと、幼馴染は黙ったまんま家の外で待つ女の子の方に歩いて行ってしまった。で、俺は『あぁ、アイツもやっと根を置く場所ができて、本当によかったよなぁ』と羨ましく思う…。
  そんなよく晴れた庭のシーンから、今度は一転して曇った空になり、俺は通っていた小学校の校舎の三階の窓から身を乗り出して絶叫しているシーンになった。そして裏のグラウンドに向かって必死に、
「チクショー!…チッ、クショ〜!」
と連呼している。あんまり思いっ切り叫ぶもんだから、声がかすんでると思った。

  と、それで、眼が覚めた。全く意味不明で、脈絡も心当たりも現実との関連もない。と、思うんだけど、夢の中の自分があんなにも一生懸命に感情を出して訴えていると、何だか妙な気分になる。夢の中にいた自分が可哀そうで仕方なかった。全く、変な時に、変な夢を見るもんだ。

  今夜は夕飯を友人宅でご馳走になった。人ン家の温かいキムチ鍋をつつくというのは心が暖まる。久々に言わなくてもいい事まで楽しく話した。たまにはこうしてヘソの奥までゆるめて話がしたいなぁと思った。僕とその親友は高校以来の付き合いになるけど、女性関係について話す事は滅多にない。今夜は親友とそのカノジョと三人でいたんだけど、初めてその二人の馴れ初めを聞いた。とっても可愛い話だった。あの頃、僕とその友人がタコヤキを作って遊んでいる時、その当時俺は知らなかったそのカノジョが友人に一生懸命な電話を掛けてきてた、なんて俺には気付かない事。その後、二人が一生懸命に、そして着実に想いを実らせていったなんて、何て感動的なんだろう。滅茶苦茶、いい二人なんだよ。滅茶苦茶アッタカイ、二人なんだよ。滅茶苦茶、大切な二人だな。

イイカンジ 2006/11/21
目玉のオヤジ…、
の物マネができると、付随して安田大サーカスのクロちゃんの物マネもできますよ、でお馴染みの山口晶です。

  今日は久々に晴れて、気分も悪くない。すると、何となく、た〜だ、何となく、全部がいい未来につながる気がして、ズキュン。

  普段からパソコンを使ってチマチマと文章を書いたり、メールを出したり。
「最近…シャープペンってぇ、とんと言わないよね。いつ言った?前回使った時を覚えてないものなぁ…」
という大惨事。
つまり「お前達、日本人として漢字という文化を使いこなせているのか?」ということで、問題をひとつ。

【】の中の片仮名を漢字にでっきるっかな、でっきるっかな?

  冬、皇居のお【ホリ】で寒中水泳をすると大変危険です。だから【ヘイ】を作って囲う事としましょう。みなさんは健全に、芋【ホ】りでもしましょう。

さ、日本人としての埃を、基い、誇りを見せて頂戴。

In the room 2006/11/20
・パソコンを立ち上げると、何を調べるつもりだったのか忘れます。
・レンタルビデオ屋さんに行くと、どの映画を観たかったのか忘れます。
イワユル、情報があり過ぎると心が鈍くなるの現代病であります。


  さて、昨夜。僕はレンタルビデオ屋に行き、腹いせに映画とCDを借りたっちゅう訳です。耳に付いて離れない声があって、そいつがジェイムスという名で始まる歌手だったなという曖昧な記憶だけで、レンタル屋のCDコーナーの前に突っ立ったのですが、そっからが途方に暮れてしまった。…意外にジェイムスが多い。あれやこれやとジェイムスを見た挙句、それらしき人物を絞り込んだのが…『ジェイムス=ブラント』こいつだ、こいつに違いない。借りた。

  腹いせにはスカッと爽やかコカ・コーラなみの映画を観たい。という事で、時代劇がいいかなと思って黒澤明の『用心棒』を観ようと手に取ったのですが、前に観た事がある映画なので、
「俺、山口のそういう保守的なとこ、嫌い。観た事ないものに飛び込んでほしい」
と自分に言い聞かせ、
「あっ!」
と観たかった映画を思い出し、手に取ったのが『ブラック・レイン』
「…だからぁ」
これも以前観た事があるんだよ!
「スカッと爽やかしねぇ野郎だぁ。…スキッと爽やか、初体験〜」
という事で手に取ったのが、『THE JUON〜呪怨〜』
「…まぁ、日本版は観たけど、ハリウッド版は観てないしな」
という事で、曖昧な初体験を借りて、ドシャ降りの雨の中、家に戻りました。

  まずはCDを聞き始めたのですが、僕の思っていた歌声といきなり違いました。
「はて?じゃ、ジェイムス何某だったの?」
と思い、更に
「そうだ、かれこれ半月以上、ジェイムス何ういう名前かパソコンで調べようと思ってたんだぁ」
と気付きました。
  という訳で、パソコンで調べるとあっさり何某が判明しました。僕が聞きたかったのは『ジェイムス=モリソン』あぁ、残念。でも、そのお陰で『ジェイムス=ブラント』を知る事ができた、実際、歌が好きになりました。ベタかなとも思うのですが、CMでも流れていた『You're Beautiful』が良かったな。「君は綺麗だ」だなんて甘い言葉を何度も連呼できるのは、歌手の役得だよなぁ。俺も作ろうっと。

  とは言え、聞きたかったものを聞けなかったフラストレーションはやる方ない。そう、腹いせに借りたのに、溜め込むものがあってはいけない。

  そして、夜中、一人で『THE JUON〜呪怨〜』を鑑賞。
  果ては、恐怖に金玉のチヂミ上がる、真っ暗な部屋の中。
  「恐い、恐過ぎる。日本版より恐い」
  日本版は友達何人かと観ている。今夜は一人。
  人間とは一人では生きれないってこういう事だな。
  つまり、カッチンコチンに眼が覚めた深夜4時in the room.
  「カヤコが現れるぅ、…カヤコがぁっ!」
  現れなかった、フッラフラの朝in the room.

『困った』を言う人、言わない人 2006/11/19
「俺は『困った』の一言を言わない。言えば、考えが止まり窮地を死地にしてしまう。だから『困った』と言わない。」
とは、ざっと160年前に、かの高杉晋作が吐いた言葉。

「よわったなぁ。困るよなぁ…」
とは、本日ざっと26回。この山口晶が吐いた言葉。

  最近購入したパソコンの音楽ソフト。こいつをフルに活用して、来年以降の新しい計画や野望に飛び込む気でいた。だが、我が家のパソコンさんの方ではそっぽ向いて、一向に読み取ろうとしてくれない。このソフトは言ってみりゃ、俺という重機関車が走り出す時の、重い車輪をズルズルと動かす石炭のようなもの。こうもあっさり初歩でつまずくと矢っ張り…困る。
「ウンッ」とも「スンッ」とも言わないパソコンの前で、
「ウンン、困った。よわった、スンッ」
俺ばかりが「ウン」とも「スン」とも反応している。

  そんなこんなの夜になり、自分のホームページを開けば、BBSに14件もの怪しい書き込みがされている。最近この手の書き込みでBBSが荒らされ、毎日削除する日課が増えた。まったく気に入らない。こんな無意味な行為に人生を預けている馬鹿の念を感じるから、気味が悪い。
「どうか、この哀れな奴輩に、丁寧且つ恒久の天罰が下りますように」と念を入れ返して削除をするのだが、とは言えこちとら手作業。相手はパソコンという代物を駆使して自動的な悪事をしているから、どうにも追っつかない。そんな時代には、どうにも「困った」の連発。

高杉晋作の訓戒は、不肖山口には高過ぎる、というお話。

シンソコ、アイスル、アナタヘ。 2006/11/18
 マッサージとは、矢張り肩凝りや腰痛に悩まされた人が上手い。それは、背中の痛みや苦労がよく判るから。当たり前、って言えば至極当たり前の話。でも、そんな当たり前が貴重に思える、今日この頃。

『あんな暗い顔して気分悪いなぁ、ちょっとくらいの痛みでビービー言いやがって』
と言って無関心になれば、本当に疲れた人を目の前にしても平気でいる人間になるだろう。

『肩をマッサージするのなんか面倒臭い』
そんな考えで人のマッサージをすれば、凝った場所をギューギュー押して、返って身体を傷めてしまう。

  身体には血の流れがあり、その人その人の骨格と筋肉の付き方がある。それを丁寧に確かめながら、ゆっくりゆっくり身体を解きほぐして、血液を本来の流れる方へ柔らかく導いて上げるのは、愛しているから。

  本来、人の悲しみをほっとけないのが人間だ。
  人の苦しみは、同じ傷を持つからこそ癒せる。
  人の痛みは、「触れれば痛い」と知っていないと、傷を深くしてしまう。
  人の心底は暗く湿っているもので、痛みはいつもそこからやって来る。
  人に愛情を持つというのは、その人の心底を愛する事。
  人に愛情を持てば、いてもたっても自分の心底がその人を考えようとする。
  君も僕も心底を暗くした弱い生き物であるから、
  何とか今だけは一緒に笑っていたいと願う。
  笑わせてあげたいと願う。

  どうして、人を立てなくなるまで打つ。
  どうして、解ろうという気持ちをなくしてしまった。
  人間に差はない。
  金持ちも貧乏も、人気者も地味な者も、
  肌の色も、宗教も、身分も、生まれた場所も、清潔も不潔も、
  何もかもが人間が人間であろうとして作った、
  ちっぽけな理屈。
  生き物には差はない。
  だから、相手が痛いほど解る。
  そして愛し合う。
  誰かを孤独に自殺させるなんて、
  一緒に生きる者として恥ずかしい事と思う。

10/15 『月と星と空と歌』 at 代官山・晴れたら空に豆まいて 2006/10/17
代官山の駅。ギターを担いで階段を昇るんだけれど、目の前で外人(男)と日本人(女)のカップルがじゃれ合い、急に止まっては抱き合ったりする。その都度、僕も急ブレーキをしなくちゃならない。ギターケースのストラップが肩に食い込む。兎に角今日はイライラしない。

  今日は日曜日、すっかり秋晴れを続ける東京代官山のオシャレな空には、そんなカップルがいるのがよく似合い、ギターを担ぐ汗だくのミュージシャンは野暮で場違いだ。そう言えば、上京したての頃、ハイソなオシャレ街と思い込んでいた代官山。「代官山には敵がいる」と言い「代官山に行く理由は反骨精神を養う為です」と言っていた。僕なりに尖っていたあの頃。今や「代官山でライブ」と言われても「あ、そぅ」としか言わなくなった。

  そうして地図を片手にライブハウス「晴れた空に豆まいて」を目指す。順調に地図に従ってビルに到着、看板を確かめ2階に上がるとホットヨガのスタジオしかない。一風変わったライブハウスとは聞いていたが、まさかヨガスタジオなんて事はありえないだろうと思い、地図をいま一度確かめると、「晴れた空に豆まいて」は地下の2階だった。実に惜しい勘違い。今度は階段を下りる方の2階へ。どうやら順風満帆のようね。

  扉を開けると思っていた以上に和風なステージで感動した。歩みを進めて暗がりを見ると服部祐民子さんが居てリハーサルが始まる模様。服部さんのマネージャーの大山さんと我がキャシーズソングの山田社長がデンッとステージをにらみ上げている。吉川みき様は真剣な面持ちで目を閉じ何かを確認している。こないだ話した人達ではなくなっている。今日は何やら特別な事が起きるようだ。

「おはようございます!」

地下2階の照明が落ちている部屋に不自然な挨拶が交錯する。『月と星と空と歌』
特別な日に参加できる事を感謝するとともに、一重にも二重にもふんどしを締めなおした。

  服部祐民子さんのライブは以前一度聴かせて頂いている。その時、服部さんの唄う歌詞は「あっ!」と言う前に聴く人へ核心を投げつけてくると思った。僕はどっちかというと遠まわしに歌詞を唄う人間だから、最初は「何て人だ」と驚いた。唄と同時に胸元に踏み込まれ、「あっ!」と言う間もなく正面で見据えられている感覚がある。あれは可愛らしさや美しさを凌駕した女の凄みじゃなかろか。だから唄を作る人だなぁと尊敬している。一度、マネージャーの大山さんに「祐民子ちゃんって呼んでみて」と言われたけど、どうしても呼べなかった理由はそこにある。服部さんは僕の反対側にある強さを持っている。うらやましいと思ったりもする。しかし、唄う気持ちは同じものでできている。今日は同じステージに上がるのだから。

  そして、僕は僕のリハーサルを終える。

  吉川みきさんのリハーサルが始まる。ここでみきさんへの思いを書いたら慕夜記一年分に相当する字数を要してしまうから、あえてここでは書かないが、何度もみきさんとステージに上がり、何度も支え合い、僕の唄の後ろから底上げをしてくれるみきさんのピアノの音色に確かな回復を感じながらきた。そして今日、とうとう、僕は初めてみきさん自身のステージを見れるという事に感無量だった。みきさんの視野の広い姿が、客席に注がれ、みんながほっこりした顔になる事を想像したら、「ムヒヒっ」とほくそ笑んでしまった。

  甲斐名都さんのリハーサルが始まる。彼女が発した最初の歌声は、確かな言葉として右脳に入ったり左脳に入ったり前頭葉に入ったりした。彼女の歌声が持つ把握力は、矢っ張り違うなと思った。沢山の耳を可愛らしいイタズラで巻き込んでしまうような唄じゃなかろかと思った。僕は太い肝っ玉をどうやったら手に入れれるのかと苦心してこれまでのステージを重ねてきたけれど、甲斐名都さんはそれを生まれ持っている人のような気がした。すごい人だね。

  こんな感想を持ってリハーサルが終わった。さて、本番はみなさんが目撃した通り。こんなライブに参加させてもらえた事に感謝の耐えない夜となった。

  ただ一つ、女性に囲まれた楽屋は本当に気を遣った。予想を上回る所在無さで過ごす、女性三人とのステージ裏。本番前に準備している時、何とか勇気を振り絞って「ビューラーって肉を挟みそうで恐くないですか?」と女性向けの話題を振ってみたが、鏡越しに「挟むよ」とメイク中の女性陣はあっさりお答えになり、「…矢っ張り挟むんだ…。」と終える。
男にメイクと二言なし!
頑張ったぜ俺!

そしてライブが本当に楽しかったぜ!
有難うね!

この道を行けばぁ、どうなるものか! 2006/09/20
今日は久し振りに突き刺す日射しが皮膚に心地好かったですね。意外と忘れがちになるのですが、秋はもう間近にいらっしゃてるのかなと思います。春には梅雨前線という停滞前線が長雨を降らし、秋は秋で秋雨前線という停滞前線が矢っ張り長雨をもたらすとか…、果たして嘘か本当か?

  先日のライブに来てくれて有り難う。毎回足を運んでくれたり、はるばる遠くから休日を使って遊びに来てくれたり、驚きと共に、まっすぐみなさんに感謝しております。

  先日、仕事の話をするつもりで吉川みきさん家にお邪魔して、なんだか長々ととりとめのない話が尽きず、楽しい休日を過ごしました。みきさんはチョコ系統の甘い物がお好きだろうと思い、僕は行き道で悩んだ揚げ句にチョコクロワッサンを買っており、お邪魔するなり押し付けるようにお渡ししました(人様のお家にお邪魔して、さり気なくお土産を渡すタイミングというのは未だに難しいなぁと感じます)すると、みきさんは僕のためにホクホクのメンチカツを用意して下さっていました。いや、つくづく人と人の気遣い合いって高級ディナーを上回ります。みきさん家のダンボ君(小犬様、基い御犬様)に横取りされないよう美味しく頂きました。

  みきさんを目の前にすると不思議と僕は多弁になります。そして、普段よりか幾分正直者になっている気がします。日が暮れるのも忘れて僕は、せっせと(仕事に関係ない)話をしてしまいました。みきさんも沢山の話を聞かせてくれました。

  そこでふと子供の話になりました。「子供は何故あんなにタフなのか」という議題になったんです。どうです、仕事とまったく関係のない話でしょ。

  体力からすると健康な成人男子の分類に入る僕の方が断然ある筈なのですが、いざ子供と遊んでみると僕の方が根負けしてしまう。子供が意気揚々とボールを投げ返し「もう一回!」とせがむのに僕は「よっしゃぁ!」といいつつ内心は『早く疲れてしまえ』と念じるんです。しかしその祈念は通じず子供が飽きることはありません。これを考えると疲れというのは体力や筋力からくるものではないなと分かります。断然体力のない子供の方が断然飽きないのです。そう、要するに大人は飽きるなと思うのです。単調だとか退屈だとか、一つの事に一つの想像しか働かないから精神が早々とスタミナ切れを起こすのですね。だから、お金をつかってみたり、人を変えてみたり、場所を変えてみたりしなくちゃいけなくなるのかなと思うのです。一つの事に沢山の想像力を持つ事が一番の才能ではないでしょうか?

  人より足が速いとか、器用だとか、それは生まれ持ったもので努力、苦心の必要はありません。自分が想像力の働く一つ事をやり続けるという事は、本当の努力であって、一番誇れる足跡かと思います。

  みきさんは音楽をずっと続けている。その一事に僕の頭は上がらない。
  みきさんは音楽に対してとっても沢山の想像力を持っている。その一事に僕は感動を覚える。

  まだまだ僕が見れる音楽があり、僕だけの想像力がある。

  道はただ黙々と歩く為に、僕の前方へ続いている。
  そいつは本当に感謝。

知りたがり屋さん 2006/09/09
人は知りたがる。

人の事を、知りたがる。

あれやこれやと手管を使い、あらゆる情報を知りたがる。

社会の底辺や、社会の華やかな情報を得て、

結局は判らなくなる。

本当に知りたかった事には辿り着けないまま、日を暮らす。

自分の視野は、外界に大きく広がっているが、
その分、内に対しては、ごく狭いもの。
誰も自分の本音なんて信じたくない、知りたがらない。
自分の内側に入る、狭く重い扉を開ける事は、
とっても困難だと、誰もが知っているから。

人は知りたがらない。

「自分の事についてはそっとしといてくれ、プライベートな事だから…」

と、自分にさへ情報を閉じる。

そして、人や社会に類似するものを見つけ、

「自分はそれだ」と人にも自分にも説明する。

そいつは嘘だ。何も知り得ていない。

みんながみんな、人に自分を預け、
自分の個性を口にしながら、
社会のカテゴリーにしっかり収まる事を希望する。
ニュースを見たところで、判る事なんて一つもない。
社会の、濃い味と濃い臭いばかり知るから、
薄味な自分を退屈に思う。
地味な現実に心がこもらなくなる。
そうして人はどんどん飽きていく。


それでも、どこかで人は知りたがる。

自分は、本当は、何が好きなのか、知りたがる。

僕が人の事を知りたがる時、

そこで得た声は、自分から遠ざかる足音。

僕は知りたがる。

本来、僕はどんな表情をするのか、

とっても、知りたがる。

生かされてしまう理由 2006/09/08
僕は死ねない。

それは、家に居る金魚達が路頭に迷ってしまうからだ。

もし、僕が死んでしまって、家に帰れなくなったとして、
成長まっさかりの愛しい三匹の金魚達が、ドロドロに淀んだ水槽の水面で静かに浮いて腐乱している姿を想像したら…、

死んでたまるかと思う。

僕は死ねない。

それは、家の押入れに仕舞ってある、あ〜んな恥ずかしい物やこ〜んな秘密を誰かが整理する事になるからだ。

もし、僕が死んでしまって、家に帰れなくなったとして、
家族の者が僕の遺品を整理しに来たのに、赤面して故人に溜め息をつく事しか出来ない姿を想像したら…、

死んでたまるかと思う。

未練や怠惰も充分に生きる蝶番(ちょうつがい)になっている。
こんな、なんでもない事でも、
俗世に渦巻く危機、危険、失望をきわどくかわし、命にしがみつかせる本能になっている気がする。
生きる事への執着はあなどれない。
放棄する奴は、人に対して薄情な奴だなと僕は思う。

僕は死ねない。

それは愛する家族・友人があるからだ。

もし、僕が死んでしまって、この世に帰れなくなったとして、
その為に、涙も枯れ果て、放心状態で、味のない食事をさせてしまう人の姿を想像したら…、

死んでたまるかと思う。
一日でも長く、たくましく
あなたより生きるからねと思えるようになる。

久し振りの書き込みだな。 2006/09/06
どうにも気紛れなのが、僕の悪い癖だ。
世の中にはブログが浸透し、日に何度も日記を書く人もいるらしい。
それに比べ、僕の慕夜記は遅々とした積み重ねだ。
「ケッ、慕夜記は日記じゃないよ」なんて言ってる。
そう、な〜んて言ってるからかな…。
少しは根気を持つ努力をしよう。

さて、最近の話。ある機材を貸してくれと友達に頼まれ、
「OK、家にある筈だから見つけとくよ」
なんて言って一週間経つ。一向に見つからない。
押入れを引っ掻き回すと、見つからなくてもいい無駄なガラクタばかり出てくる。

昔は部屋の掃除をする度、昔の写真とか日記とか音源に気を取られて全く進まなかった。
今の僕にはあまりそういった癖がなくなっている事に気付いた。

ふと、古い写真のアルバムに目をやる。
一体、いつこいつ等は処分されるんだろう…と思う。
五年に一度見るかどうかのものが、押入れに堅く仕舞ってある。

確かに大切な思い出が沢山詰まったものではある…。
と言いながら死ぬまで写真を保管しておく自分を想像しみると…、
何か、気持ち悪いなぁ、俺…と思った。

僕は今まで、両足にガラガラ重たい過去を引き摺って歩いてきたように思える。
自分なりに過去と今のバランスを取ってきたつもりだったが、
思い込みだったような気がした。

整理しなきゃな。

ゴミ箱にゴミが溜まっていると、新しいゴミが入らなくて不衛生になる。
タンスに着慣れた服ばかりが詰まっていると、新しい服は着られない。
日々たくましい排便をなさなきゃ、日々美味しいもの食べられない。

新しい、今。
未来じゃなく、過去じゃなく、
新しくやってくる今を身につけるためには、

慣れ親しんだものを捨てて、身一つに帰る時も必要なんだと感じたんだ。

肩を並べる 2006/06/08
先日、6月2日のLIVEを見に来てくれた人、本当にどうも有難う。とても良いLIVEになったのが、終わってからのみんなの顔から伝わって来たので嬉しかったです。ニッポン放送のスタッフの方々はじめ、吉川みきさん、スタッフのみなさん、そして何より今回このLIVEに誘ってくれた大森洋平君に感謝しています、有難うございました。ものをつくり出していく不安や喜び、歓喜と恐怖、全ての感情が同じ釜の飯を喰った仲間です。洋平君のデビュー10周年にはそういう意味で尊敬しおめでとうを言いたいです。僕もデビュー3周年、全然少ないようで実はCDなんか出さなくても歯を喰いしばってここまで来た。今ここで色んな人達のキャリアのおかげでステージに立ち、肩を並べることができて誇らしく思います。

肩を並べるといえば、

  僕は東京に出てきてもう7年くらい。この年月、幾度も砂を噛む様な思いで、飯を胃に押し込んだりしてきました。幾多の苦難を乗り越えて、昨日の昼、僕はとうとう野村万斎さんと肩を並べました。ここに到るまで何度の冷や飯を喰ったことか測り知れない。頑張った甲斐があった、何度か東京を去ろうと思った事もあるんだ。人間、継続するという事が唯一与えられた才能なんだ。何度くじけそうになったことか。
  でも、昨日僕は万斎さんと肩を並べた。仔細を付け足すと、野村万斎さんの隣で袖摺り合いながらラーメンを食べた。やったね。都内の有名なラーメン屋。万斎さんは顎をきちっと引いて、本当に姿勢良くラーメンを食べられていたので、そのまま狂言の舞を見ているようなラーメンの食べ方でした。僕は中学生の時、古典の授業で狂言の演目『附子』を勉強して、それを演じた時とっても面白くて好きになりました。留守番を頼まれたタロウカジャとジロウカジャが主人の蜜を食べてしまい上手いこと言い逃れるという話です。ま、知っている人も多いわね。その『附子』を3年くらい前にテレビで万斎さんが演じているのを見て大変お気に入り、その頃僕は「たろうかじゃ〜、あおげ〜あおげ〜、あおぐぞあおぐぞ〜」が口癖になっていました。
「その方から吹く風にあたるだけでも、滅却するほどの大御所万斎さん」
「あぁラーメンが熱そうだ」
「あおげ〜、あおげ〜」
「あおぐぞ〜、あおぐぞ〜」
「あおげ〜、あおげ〜」
「あおぐぞ〜、あおぐぞ〜」
「それっ!」
言いたかったな、狂言調で、
言えなかったな、狂言調で。

浮いている… 2006/05/14
長い…。

  雨が一日降り止まず、一歩も家を出ず。出不精の俺には願ったり叶ったりの天気である筈…。けど、こんな天気の日、思う存分家で過ごし切ると、一定の罪悪感を持つ。アレヤコレヤ、考えれば考えるほど、春の長雨はじっと長い。

浮いている…。

  少し黄ばんだ水槽の中で、メンデルが浮いている。

  メンデルとは、同棲している出目金のこと。我が家で同棲している金魚は三匹、いずれも出目金である。一匹はメンデル、家に来て一番長い奴。身体は黒くて、腹は金に光っている一番大きな金魚だ。そしてゴスロリ、これは愁色の出目金。身体はオレンジに近い愁色だが、唇が黒く、尾に黒い斑点が一つある。まるで黒い口紅に、黒いピアスをした俺とは似ても似つかない趣向の奴。そして、もう一匹がクズモチ、錦の出目金である。身体はメンデル、ゴスロリとは違って虚弱体質のように細く、その為、出っ張った目がひたすら大きく見える、でもその身体の透明感はとても美しい。こうして我が家ではやんちゃな三匹が常に「頂戴!」コールで俺を監視している。「頂戴!」コール?餌の事だよ。

  そのメンデルが浮いている。というよりも沈めていない。首根っこを摘まれた子猫のように水面にぶら下がっている。原因は餌を慌てて食べ過ぎることだ。他の二匹に負けじと先を争って水面の餌に飛びつくために、空気も飲み込んでしまう。すると、食べた餌と空気が混ざって、消化していると肛門が浮いてしまうのだ。

  メンデルはもともと上品な奴で、ゴスロリやクズモチが我が家に来るまでは、一人で悠々と暮らしていた。餌をやっても、当分知らん振りをし、俺の見ている前では決して手をつけない。俺が目を離すとチビリチビリとゆっくり召し上がっていた。そんな奴がゴスロリとクズモチの野蛮な生存競争に巻き込まれ、あの時の優しかったメンデルの面影もなくなってしまった。

  最初のうち俺は「お前はまた喰いイヂを張りやがって、あれほど言っただろう」とメンデルを叱りつけた。しかし当人は一向に反省の色も見せずイギタナク餌を飲み込み、毎食のように「やってもうた〜」という感じに肛門を水面に浮かしている。この繰り返しだ。

浮いている…

  メンデルはほっといて、水槽を掃除する事にした。洗面器にやんちゃな御三匹に移って頂き、俺は水槽とろ過機のスポンジやジャリをゆすぐ。そしてカルキを抜く薬を入れ、良質バクテリアの入った薬を入れ、水質が落ち着いたところで御三匹に御戻り頂く。そして、

長い…、

空気の混じった糞を垂らしながら、メンデルは…、

浮いている。

アレヤコレヤ、考えて長雨の一日はメンデルと共に過ぎていった。


東京塔上 2006/04/05
 先日、雷の鳴る中、東京タワーに行きました。東京タワーに昇るのは中学生の修学旅行以来です。

とはいえ、

  4年くらい前にこの近所にある専売病院で喉の検査をしてもらった際、東京タワーを見学しようと足元まで来たのですが、『大人:800円 子供:300円』という値段設定に納得がいかず結局そのまま家に帰った事はありました。その頃の僕の言い分は、子供と全く同じ興味と好奇心を持ってルンルンなのに、値段で差別されるのは気に入らない…だったような。今から思い返すと、よく意味が分からないですが、何にしても日本の観光はお金が掛かって仕方ないですね。文化芸能・動物園・遊園地に至るまで、日本人でさえも戸惑うような不親切さに、観光する外国人は彷徨うばかりですね。

それはさておき、

  春休みなどの休日で東京タワーは混み合ってました。僕は行列が大ッ嫌いなのですが、何とか10分くらい並んで、東京タワーに昇りました。悪天候の為、一番上の展望台(別料金で更に600円とられる)にはいけなかったのですが、中間の150Mの眺望を楽しみました。と言っても、時間は夜だし、雨に伴う霧が出て何が見えることもなく、まぁこんなものかとあまり感動はしませんでした。都会の夜景を高いところから見て『まぁ、綺麗。星を散りばめたよう』なんて三流ドラマ的な趣味は持ってないですね。『あくまで、人工的で様々な念に包まれておる』としか感じません。

さて、

  僕は、ラウンジに座って珈琲を飲んでボーッとしていました。すると、オバアサンが東京タワーの窓際に眼を凝らし、コンシェルジュに盛んに何かを尋ね、コンシェルジュも丁寧に指差してオバアサンの質問に答えている風景を見ました。オバアサンもコンシェルジュも「都庁はあちら、ヒルズはそれよ」なんて遠い視点ではなく、あくまで、東京タワーの足元を指差し「あの角を、右に曲がって、どんつきの信号を左です」というノリでございました。
  つまり僕は、地上150Mからの道案内を見ていると、背の低いオバアサンがあのビル群の足元に戻った時が心配でなりませんでした。
  でも、下界で道に迷ったら、視野のとれる東京タワーに昇って全体を把握するというのは東京タワーの新しい使い方かもしれません。是非お試しあれ。

  実のところ、

  僕は東京タワーには興味がなく、そこにある蝋人形館に行きたかったんです。やっと念願かなって見学してきました。ビートルズの特集をやってるとの事で期待したのですが、若き日のビートルズと喧嘩が絶えなくなってきた頃のビートルズの二種類が堅い笑顔でいるだけでした。展示されている人物はプレスリーや毛沢東、ジュリア・ロバーツから猿の惑星まで、統一感のなさが館長のマニアックぶりを感じさせました。世界の拷問コーナーとヘビーメタルコーナーでは館長のマニアぶり全開な蝋人形が痛々しく展示されていて、それはそれで結構興奮しました。結構オススメです。

モンゴロイド同士、仲良くやりましょうぜ。 2006/03/22
 普段、背広(って言うの?古い?スーツ?)を着る機会無し子の僕は、たまに礼服を着るととってもヤクザな気分に浸る。「山手線が2分遅れ?きっとドン・チッチオかルケージの策謀だ。すぐにドン・トマシーノに相談しなくてわ」電車に乗っている僕は無駄に刺客に怯えてみたりする。背広(とは言わないんだろうね。スーツなの?ジャケット?)を来て歩く革靴のカツンカツンという音は、何か陰謀に満ちた甲高い響きを感じる。
  そんなこんなで、先日久し振りに仙台に行った。滞在はあっという間だったけど、とても懐かしい気がした。思えばデビューして初めて持ったラジオ番組は仙台だった。慣れない一人しゃべりに「あ〜、え…っとぉ、まぁ色んな事含めて、いい感じですね」何一つ限定できない話しっぷりで必死だったなと思う。

  帰りの新幹線の車窓、あの頃と同じ時間帯で、薄暗くなって街の灯りはチラホラと。

  僕はあれを見て「あの街の灯り一つ一つに、僕のあ〜とかえっ…とが届いているのかぁ、すっげぇなぁ。頑張らなくちゃなぁ」と奮い立たせてた。

  僕にはレールの上を滑る車輪の音が、また新しいことに連れてってくれるように聞こえた。そして、幾つかの新しい出来事に、狼狽、緊張しながらも希望が溢れる場所に近付いている気がした。

気まぐれで買った、仙台みやげの“ずんだ餅”がたまらなく美味しい日だった。

追伸:
  スーツやジャケットやパンツ(ズボンの方)をオサレに着こなす為のファッション誌を極まれに目にする機会があります。この際一つ申し上げたい。あんなに手足の長いモデルさんを起用しては、我々一般庶民の体型に合うのかどうかの参考にはならいと主張します。しかもどのページを見ても、目鼻立ちが西洋人のような人ばかり、何だこの西洋人コンプレックス、並びに英語コンプレックス。参考になりません。そんなんだから時々街で「君、それランニングやないかぁ」とか「短パンには時期が早いぞぉ」なんて思ってしまう強引なオシャレさんを見つけてしまうのです。もっと典型的なモンゴロイドのモデルさんを起用して頂きたい。さすれば、巷に個性溢れるジャポン・イケメン、アンド、イケガールズが無理せず背伸びしない自分なりのファッションに身を包むこと請け合いです。
以上、山口の主張、終わります。

わからない…。 2006/02/10
 フランスの女性が、寝てる間に、犬に顔半分を食べられてしまったらしい。
わからない…。

  理科の授業で使っていた『こまごめピペット』は、何故『こまごめ』を付けるのかわからない…。
  『こまごめ』らしさが出ている部分がどこだか、わからない…。

  家に帰ると、知らん間に靴下をかかとの部分だけ脱いでいる。

  わからない…。

ズッコロバシ 2006/01/10
 今日は成人の日。成人した人達おめでとう。とっくに成人している人達もおめでとう。僕は自分が成人した時は、北京に留学中で成人式には出られなかったんです。最近、例年の如く紋付袴を着た新成人がテレビで報道されているけど、眼を丸くする事が多いね。鬼の首を取ったように成人式の会場とか街中で、大騒ぎしている子達はあれをしている時点で、しっかり子供なんだと気付いてほしい。みっともないねぇ、本当に。幾ら目立っても、君の顔にはモザイクがかかってるよと、僕みたいなインチキ大人は思うわけさ。

  紋付、そして袴。僕は持ってないから履いてみたかったなと思います。何かと身の回りにある、ちっちゃなナショナリズム、ジパングを見つけると嬉しいものですよね。

  先日、友達何人かと電車に乗って散歩に出掛けました。昼のうららかな陽気に、僕は久し振りにはしゃいでいたと思います。

  日暮里に向かう山手線の中で、僕は「ズイズイズッコロバシ」(曲名が何だか分からない)の唄が途中から分からない事を思い出したので、友達に「どうだったっけ?」と僕の覚えている限りの「ズッコロバシ」を唄ってみせました。

  みんなで知り得る限りの歌詞を出し合って、色々手直しをしたら、何とか全体が唄えるようになりました。そして最後の仕上げとして、みんなで手を出してやってみることにしました。

「ズイズイズッコロバシ、ゴマミソズイッ!チャツボニオワレテ、ドッピンシャン、ヌケターラドンドコショ。タワラノネズミガコメクッテチュウ、チュー、チュー、チュー。オットサンガヨンデモ、オッカサンガヨンデモ、キキーッコナーシーヨッ。イドノナカカラ、オチャワンカイタノダーレッ」

「出来た」
  さて、歌詞の意味はまた追々考えるとして、この類の懐かしい唄を思い出すと、何故だか誇らしく思ってしまうのは何故だろう。

  なんて事を考えていたら、向かい側にお母さんと座っていた小学1年生くらいの女の子が僕等を見ていて、
「ずいずい、ずっころば〜し…」
と、お母さんの手と自分の手を行き来しながら唄い始め、お母さんに唄を詳しく教えてもらっていました。
  僕はこの年齢にして幼稚園児より聞き分けのない大人で、色んな事がなっちゃいない人間だけど、日本の伝統・文化を継承した希少な瞬間でした。

  彼女がいつか大人になって、山手線の車内でうららかな陽だまりに足を踏み入れたときに、ふっと何故だか「ズッコロバシ」を思い出して、口ずさんでしまう。
「あらっ、やだわ、アタシったら、どうして突然こんな唄を思い出しちゃったんだろ…」という事になる。そして、彼にメールを送るわけさ『ズッコロバシって、何をズイッってするんだっけ?』
  暫らくして、彼から簡単だけど優しいメールが届く『ゴマミソをズイッっとするんだよ』
  「そっかぁ…」彼女はドアーの窓に頭をゴチンとして、小さな声で口ずさむ「ずぃずぃずっころばしぃ、ごまみそずいっ…うふふ、馬鹿ね」

な〜んて日が来れば、日本は安泰です。

  ちなみに、僕は調子に乗って彼女にもう一つ継承できないかと考え、彼女の前でクルクル回りながら「開店、開店、ライブドアオート」と唄って見ましたが、それに関しては彼女は無反応でした。

なかなか楽しい山手線の旅になったな。

ちなみに、僕が生まれ育った故郷では、
「どちらにしようかな、天の神様の言う通り、アッププーのプーのプーの柿の種っ、1、2,3,4,5,6,7,8,9、10、決〜め〜たっ!」
で自分の欲しいものを決めていたよ。

年賀状 2006/01/06
明けまして、おめでとうございます。

ぐっと寒い新年を東京で過ごして、身の引き締まる想いです。

正月は秩父に行き、秩父神社と今宮神社で初詣をしました。でも、二礼して手を二回打ってとか、全く作法にうとい有様で、前に習えでして、前の人が間違っていたら間違ったまんま初詣をしたんだろうなと思います。もし、僕の後ろに並んでいた人も僕と同じ有様で僕に習えをしていたら、さぞかし元旦に不粋な光景だったんだろうな。

手を合わせて眼を閉じ、祈るんですが、習慣にない事をめでたいからといってやってみても、何をお祈りしたらいいか解らないものですね。「頑張ります」なんて手を合わせて、それがどこへ向かって吹いている風なのか皆目見当もついていないんです。漠然とした事を誓ってみても、賽銭と共にカランカランと安い音をたてて転げ落ちてしまうから、具体的に誓ってみました。

積み重ねる事を意識してこの一年を過ごそう。

ただそれだけです。


どこに吹く風に乗っかっていようが関係ない。見当がつかなければなお更、今日を積み重ねる事に従事するしかないんだなと思います。

その上で、「頑張ります」だな。


今日は東京の護国寺というところで、今年初のおみくじを引きました。
さてさて、お告げは大吉。まんべんなく全てにおいて適度な好調を保ちそうです。

方向…北の方がいいでしょう。(僕の家は北向きで、只今極寒の部屋です)

病気…軽いですが、長引くかもしれません。(それが結構ストレスだと思います)

待人…たよりなしに来ます。(それは迷惑です)

旅行…よいでしょう。同行者に注意して下さい。(それは油断ならない旅だな)

失物…早く出ます。物の間にある様です。(物の間っ…!)

とまぁ、良い一年になりそうです。順風満帆!!帆を張れぃ、明日は晴れぃ!

今年も宜しくお願い致します。


山口晶2006ver
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