午前三時を過ぎた我が部屋に、
一匹のカラスがウロウロ寝ぼけ眼でやってきた。
「俺はこれから朝の務めに向かうところだ、
聞くところによると、お前は毎晩朝までギターを掻き鳴らして唄っているという。
どうだ、仕事の景気付けに一曲、俺に何か唄ってくれないか」
ぶしつけな願いにも応えるのが芸の道。
「心得た」
僕が見るところ、このカラスは毎朝の仕事にやつれた顔をしている。
元気が出るような明るい曲を唄えば感謝されるだろうと思い、
ギターを構える。
すると、
「おい、お前、
今、俺が仕事に生き甲斐がなく精神が疲れているんだと思ったろう?
それで俺に明るい曲を聴かそうという魂胆ならやめてくれ、
返って疲れる」
と、カラスは吐き捨てた。
それもそうかと思い直し、
このカラスが自分の悲哀を投影できるような、
静かな喜びの唄を唄ってやろうと、僕は考えた。
そして、ギターを構える。
すると、
「やい!おせっかいな野郎だ。
お前は今、俺の悲哀を救い上げようなどと分不相応な事を思ったに違いない。
俺の心を癒そうなんて、お前は一体何様のつもりだ。
それでしたり顔をするつもりか?
そんな姑息な事を考えるなんざ、性根の腐った唄い手だ。
お前の心の方がよっぽど疲弊しているに違いない」
と、カラスはまた僕の心を言い当て、
そして、また吐き捨てた。
だったら怒りの唄をカラスの耳元に轟音で聴かせようかと思えば、
「俺の耳はお前の大声なんかじゃ驚かないぜ」
とカラスは言い、
じゃあ、何を唄えって言うんだ。
ちぇ、馬鹿馬鹿しい。
このまま何も唄わなければ、カラスも呆れて出て行くだろうと、
そう思ってみると、
「おいおい、お前の唄を聴きに来てやったんだ、
何か唄わなきゃ出て行きやしないぜ」
とカラスがまた言う。
僕が何かしようと思っても、いちいちその心を言い当てられてしまう。
こうも前もって自分の心を説明されると、やりようがない。
とうとう、僕はカラスの為に唄うなんて気遣いに辟易して、
カラスは相手にせず、いつも通りの練習を始めた。
カラスはニヤニヤ笑って、
「おいおい、とうとう俺を相手にする事に飽きたか?
俺の為に唄おうなんて気も失せてしまったか?」
と、僕にちょっかいを掛けて来た。
が、僕は相手にせず、
ただ無念無想になって、いつも通り好きな唄を唄いまくっていた。
カラスは幾度か厭味を言い、気を引こうとして来たが、
僕が時を忘れ、夢中になって唄っていると、
そのうち何も言わなくなった。
やがて、窓は白み、人間が活動し始める音が聞こえ出すようになり、
僕は「はっ」と我に返った。
一体、何時間経ったのだろう。
いつも通りの朝が部屋を染めていた。
燃焼し切った、くたくたの首を持ち上げると、
カラスはまだ部屋にいた。
カラスも僕が唄い終わった事にようやく気付き、
目に幾らかの涙をたたえながら、
しかし、清々しい笑顔になって僕に言った。
「俺はね、お前のその唄が聴きたかったんだ。
意を持たず、ただ無色透明の音のかたまりになって俺の耳をこじ開けて来る。
俺もそんな風に、朝陽に向かって啼きたいんだ。
無念無想の熱、
俺は自分が背負った仕事に、やっと得心がいったよ」
カラスはゆっくりと、黒い羽根を持ち上げ、
ヨロヨロと僕の部屋を出て行った。
暫くすると、朝の光に希望を溶かすような啼き声が聴こえた。
確かに、先刻まで一緒にいたカラスの啼き声だった。
そして僕は、その声に導かれるように心を休め、
いつものように何の感慨もなく寝床に潜り込んだんだ。 |